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1990年に畑ができ、2024年に国の法律ができた——南米6か国の見取り図

南米では危機への現場対応が先にあり、自治体が20年支え、国の法律は最後に来た

2026-09-09 · 17

特集 · 危機が先、法律はあと——南米6か国のアーバンファーム1 / 7

夕暮れの南米の街角で、住民が畝に苗を植えている壁画調のイラスト。一人が南米大陸の輪郭を描いたポスターを掲げ、机の上に市の印章と紙束がある。下の黒い帯に「危機が先、法律はあと」

ブラジルの都市農業を国の政策にした法律14.935号が官報に載ったのは2024年7月29日です。もとになった法案は2015年に下院議員パドレ・ジョアンが提出したもので、成立まで9年かかっています。同じ大陸のアルゼンチンでは1990年8月3日、国立農牧技術院(INTA)の理事会決議でプロウエルタ(ProHuerta)が始まりました。1989年の経済危機で食料が届かなくなった層に種と苗を配るための緊急の措置です。ブラジルのベロオリゾンテ市が食料安全保障を市の政策にしたのは1993年7月15日の市条例6.352号、エクアドルのキト市がAGRUPARを始めたのは2002年でした。国の法律より自治体の条例が10年から30年早い。この順序はヨーロッパと逆です。本特集は南米6か国を7日かけて順に見ていきます。今日はその順序を年号で通します。

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3分でわかる本記事の内容

  • 南米では畑が先で法律があとに来た。ブラジルの国家政策PNAU(法律14.935号)が官報に載ったのは2024年7月29日で、もとの法案は2015年提出。成立まで9年かかっている。
  • 最初に動いたのは危機への現場対応である。アルゼンチンのProHuertaは1989年の経済危機を受けて1990年8月3日に始まり、政府の30年総括では63万7,847の菜園と400万人超に届いたとされる。
  • 20年のあいだ畑を支えたのは自治体だ。ベロオリゾンテは1993年の市条例6.352号、リマは2012年の枠組み条例1629号、ボゴタは2015年9月11日の市議会合意605号で制度を作った。
  • 制度文書に入っている言葉が違う。ドイツの連邦小庭園法が区画400平方メートルと借地料の上限を書くのに対し、南米の条文には「アグロエコロジー」と「食料主権」が書かれている。
  • 法律が来ても土地が保証されるとは限らない。ブエノスアイレス市法6377号(2020年12月3日可決)は第8条をめぐり、公有地が私的な営利に使われるとして菜園の側から批判された。
  • 本記事の立場は南米を模範として並べることではない。順序が逆だっただけで、地代の上限も長期の借地権も南米にはまだ無い。この特集はその欠けている部分も含めて見る。

はじめに

南米では畑が先にでき、国の法律は30年あとに来た

年号を二つ並べます。1990年8月3日、アルゼンチンの国立農牧技術院(INTA)の理事会決議でプロウエルタ(ProHuerta)が始まりました。前年の1989年に物価が暴走し、最も弱い層に食料が届かなくなったことへの応答です。種と苗と農具を配り、家庭・学校・地域の菜園づくりを技術面から支える。運営はINTAと社会開発を担当する省の共同です。もう一つは2024年7月29日。ブラジルの都市・近郊農業国家政策(PNAU)を定めた法律14.935号がこの日、官報に載りました。南米で最も早い部類の大規模な公的プログラムと、6か国で唯一の国家法とのあいだには34年の開きがあります。

この順序はヨーロッパと逆です。先週まで扱ったドイツでは1919年7月31日の小庭園・小借地令が先に借地料の上限と解約の禁止を定め、そのうえに協会と区画が積み上がりました。法が枠を作り、実践がその枠の中で育った形です。南米ではその逆で、経済崩壊や飢餓に対して住民と自治体がまず畑を作り、法律は数十年遅れて追いつきました。追いついた法律も土地の値段や借地期間には踏み込んでいません。だから「南米の都市農業は制度化が遅れている」とまとめると、事実の半分を落とします。制度化は遅かったのではなく、順番が違ったからです。しかも順番の遅れはまだ終わっていません。チリでは2026年の時点でも都市菜園の法律が成立しておらず、ProHuertaの開始から36年が過ぎています。

本特集はその順序を6か国で確かめます。今日渡すのは結論ではなく年表です。1990年のProHuerta、1993年のベロオリゾンテ市条例6.352号、2002年のロサリオ都市農業プログラムとキトのAGRUPAR、2012年のリマ枠組み条例1629号、2015年のボゴタ市議会合意605号、2020年のブエノスアイレス市法6377号、2024年のブラジルPNAU、そして2025年に提出され今も成立していないチリの法案。この並びを一度通したうえで、明日から国ごとに一つずつ拡大していきます。先に断っておくと、6か国のうち都市農業を正面から扱う現行の国家法を持っているのはブラジルだけです。残る5か国を支えているのは国の法律ではなく、自治体の条例と国の事業プログラムです。

対象の線引き

扱うのは南米大陸の6か国で、キューバは対象に入れない

対象はアルゼンチン・ブラジル・コロンビア・ペルー・エクアドル・チリの6か国です。ラテンアメリカの都市農業といえばキューバの名前がまず挙がりますが、本特集は含めません。理由は二つあります。一つは既刊の探究コラム『キューバのアーバンファーム事情——危機が育てた「必要からの農」』で扱っているためです。もう一つは条件が違いすぎるためです。キューバのオルガノポニコは国が土地と流通を握った体制のもとで、しかも1990年代の輸入途絶という特殊な条件下で広がりました。土地が私有で市場経済の南米6か国と同じ物差しで比べると、どちらの理解も歪みます。本特集の6か国で畑を作る土地はたいてい市の持ち物か私有地で、住民が使えるのは許可か一時的な利用権に限られます。誰が土地を持っているかという出発点が違うのです。

もう一つ線を引いておきます。「国の法律」と「自治体の条例」を混ぜません。南米では自治体の条例のほうが早く、数も多く、現場への効き目も大きい時期が長く続きました。ブラジルのベロオリゾンテもリオデジャネイロも、アルゼンチンのロサリオも、コロンビアのボゴタとメデジンも、国の法律とは無関係に自前の仕組みで20年前後動いています。だから年表を読むときは「国の法律が無い=制度が無い」と読まないでください。制度はありました。ただし市役所の中にあり、市長が替われば予算が消えうる場所に置かれていたのです。規模も小さくありません。コロンビアのメデジンの菜園プログラムは3年で1,707か所という目標を掲げ、ボゴタの市のプラットフォームは4,000を超える菜園と2万人を超える都市農民を把握しています。

起点 1989–2002

最初の畑を作らせたのは理念ではなく、食料が届かなくなった年である

アルゼンチンから始めます。1989年、物価の暴走で最も弱い層への食料供給が崩れました。翌1990年8月3日、INTAの理事会決議でProHuertaが始まります。配るのは現金ではなく種と果樹苗と農具、そして栽培の技術支援と食・環境の教育です。運営はINTA単独ではなく社会開発を担当する省との共同で、農業政策ではなく社会政策の側から始まったことがこの選択に出ています。政府が30年をふりかえって出した記事によれば、全国3,700を超える地域で63万7,847の菜園が動き、そのおよそ97%が家庭菜園、支える推進員は9,192人でその67%が女性、アグロエコロジーの市が744、連携する団体は3,000超、届いた人は400万人を超えるとされています。

同じ国のロサリオで引き金になったのは2001年の経済崩壊です。市はNGOのCEPARおよびProHuertaと組み、遊休地を住民に開きます。線路脇、水がたまる低湿地、整備されないまま放置された緑地。使えるかどうかを土地の格から判断せず、耕せるかどうかで判断した点がこの時期の特徴です。2004年の市条例は都市の貧困層に公有の空き地の一時的な利用権を与える仕組みを作り、「パルケ・ウエルタ(菜園公園)」という区分を制度化しました。当サイトの収録によれば開放の対象となった遊休地は市域のおよそ36%と見積もられ、開始から2年で約800の菜園が4万人分の野菜を生んだとされています。一時的、という言葉がここで入ったことは後で効いてきます。

エクアドルのキトも同じ形です。1999年には市の人口の48%が貧困線を下回りました。2000年に都市農業をめぐる市民協議が開かれ、2002年にAGRUPARが正式な市のプログラムとして立ち上がります。2005年以降の実施主体は市の経済振興公社CONQUITOです。福祉部局でも農政部局でもなく、経済振興の公社が担当している点は覚えておいてください。世界未来評議会の記録によればこれまでに3,679の菜園が作られ、32ヘクタールを覆い、年間96万キログラムを超える食料を生み、7万3,936人が直接の受益者になったとされます。2018年にはFAOとIFOAMが関わるFuture Policy Awardの銀賞を受けました。

支え手 1993–2015

20年のあいだ畑を支えたのは国ではなく市役所だ

ブラジルのベロオリゾンテが最も早い例です。1993年7月15日の市条例6.352号が食料安全保障の政策枠組みを定め、食料供給を担当する市の局(SMAB、のちのSUSAN)を作りました。就任したばかりの市長パトゥルス・アナニアスが押し出した政策です。生産者と消費者を直接つなぎ、公共調達で地域の生産を多様化させ、都市農業とアグロエコロジーの支援をその食料供給政策の一部として組み込みました。世界未来評議会の記録によれば、この政策の実施に必要だったのは市の年間予算のおよそ2%、金額にして年間2,500万米ドル前後です。国の法律ができる31年前に、人口200万人規模の都市が単独でこれをやっています。

ロサリオはこの時期に骨格を固めました。2004年の条例で一時的な利用権を与え、2015年の条例で近郊の800ヘクタールをアグロエコロジー生産のために恒久指定します。「緑のベルト(Cinturón Verde)」と呼ばれる区域です。WRIの記録では市内の菜園と生産用地は75ヘクタール、2,400を超える世帯が自分の菜園を持ち、年間およそ2,500トンの果物と野菜を生産しました。2020〜21年にはWRIロス・センターのPrize for Citiesで大賞を受けています。ここで注意したいのは指定の仕方の違いです。近郊の800ヘクタールは恒久、市内の区画は一時的。同じ市の同じ政策のなかで土地の保証の強さが二段になっています。

アンデス側の二つの首都も2010年代に条例を持ちます。ペルーのリマ都市圏は2012年9月に枠組み条例1629号を制定し、環境管理・食料安全保障・社会的包摂・地域経済発展という四つの目的を並べて都市農業を位置づけました。屋上、テラス、住宅の裏庭、共同菜園、学校や公共機関の菜園、生産用の菜園、アグロパーク、そして所有者との合意にもとづく空き地の利用まで、形態を列挙しているのが特徴です。コロンビアのボゴタは2015年9月11日の市議会合意605号で、都市・近郊アグロエコロジー農業プログラムを制度化する指針を定めました。実施の中心は市の環境局で、技術的な助言・研修・監視とオルテロ(耕す人)の登録簿をホセ・セレスティーノ・ムティス植物園が担っています。

国法 2020–2026

国の法律が来たのはごく最近で、チリでは法案のまま止まっている

ブラジルのPNAUを見ます。法律14.935号は2024年7月29日に官報に載りました。もとの法案は2015年に下院議員パドレ・ジョアン(労働者党・ミナスジェライス州選出)が提出した法案906/15号です。成立まで9年かかりました。法律が掲げる目的は七つ並んでいます。都市の脆弱な層の食料・栄養の安全保障を広げること、使われていない都市空間を活かすこと、収入の道を作ること、学校や病院などの公共調達と都市の食料生産をつなぐこと、家族経営と協同組合を支えること、環境教育とアグロエコロジー・有機の生産を都市で進めること、そして有機性廃棄物の循環と雨水の利用を促すことです。専用の信用枠も設けられました。実施は連邦・州・自治体・市民社会・教育機関の協働による分権的な形をとります。

アルゼンチンには国の法律がまだありません。首都の市議会が2020年12月3日に可決した市法6377号がその代わりです。提出したのは社会党の議員ロイ・コルティナ。都市農業を「持続可能性の原則に沿って食料の生産と加工を行う、大都市内の農的実践」と定義し、都市アグロエコロジーを別に定義しました。第8条は公的・私的を問わず自然人・法人が適した公有地を共同菜園として使う許可を申請できると定めています。ただしこの第8条が批判の的になりました。菜園の側の団体エル・レシクラドールとレッド・インテル・ウエルタスは公有地が私的な営利に使われる余地を残していると述べています。国の法律ではなく市の法律であること、そして現場が歓迎しなかったこと。この二つは覚えておく価値があります。

チリはまだ法案の段階です。都市菜園(huertos urbanos)の振興・整備・登録について定める法案が2025年3月に下院へ議員提出されました。法案番号は17.433-06、提出者はムレー、フェリックス・ゴンサレス、メロ、オヤルソ、サフィリオの各議員とベロソ議員です。都市域内にある最大500平方メートルの栽培空間を「都市菜園」と定義し、野菜・果物・薬草・花を自分たちで食べるために育てる場所と位置づけて、登録制度を設けます。放置され危険な状態にある土地の一時的な利用を認める一方で、そこでの寝泊まりは禁じています。確認できるのは下院の住宅・都市開発・国有財産委員会に付託されたところまでです。同じ2025年の4月29日、キトの首都圏議会は市有の未利用地に菜園を開き、新しい住宅開発に菜園用の場所を義務づける条例を承認しました。国が動くのを待たずに自治体が先へ進む形は2026年の時点でもまだ続いています。

条文の言葉と所管

条文に「アグロエコロジー」と「食料主権」が書かれているのが南米の特徴だ

ドイツの連邦小庭園法に書いてあるのは寸法と値段です。1区画400平方メートル以下、庭小屋24平方メートル以下、借地料は営利の果樹・野菜栽培における地域相場の4倍まで。栽培方法についての規定はありません。南米の条文はこの逆で、方法と目的を書きます。ボゴタの合意605号はプログラムの名称そのものに「アグロエコロジー農業」を含み、垂直栽培・生物集約栽培・浮き根栽培・高床栽培・再生資源による栽培・家族農業・生物肥料・生物防除剤という8つの生産方法を列挙しました。ブラジルのPNAUは「都市におけるアグロエコロジーと有機の食料生産」を掲げ、有機性廃棄物の循環と雨水利用まで書き込んでいます。チリの法案は栽培空間の上限を500平方メートルとしましたが、ここでも数字は面積だけで、地代には触れていません。

所管の置き場所も違います。ProHuertaは社会開発を担当する省とINTAの共同で、農政の単独事業ではありません。ベロオリゾンテの担当は食料供給の局です。キトのAGRUPARを実施しているのは経済振興公社CONQUITOで、公社は種と講習を配り、収穫物を売るビオフェリア(有機の市)まで開きます。リマの条例1629号は目的の筆頭に環境管理を置きながら、食料安全保障と社会的包摂と地域経済発展を同じ行に並べました。ドイツで小庭園を所管するのが緑地・都市計画の系統であることと比べると、置かれている棚がはっきり違います。南米では都市農業は「緑」ではなく「食」と「福祉」の政策として始まりました。

ただし例外があります。ボゴタの合意605号を主に動かしているのは市の環境局で、技術面を担うのは植物園です。緑地・環境の系統に置かれている点でヨーロッパに近い。同じ大陸のなかでも一枚岩ではないわけです。だから「南米では食料安全保障の部局が担当する」という言い方は傾向であって規則ではありません。むしろ興味深いのは担当部局が違えばプログラムの中身も変わることです。食料供給の局が担当したベロオリゾンテは公共調達と直売を軸にし、経済振興公社が担当したキトは市場向けの生産と販路づくりを軸にし、環境局と植物園が担当したボゴタは栽培技術と登録簿を軸にしました。どの棚に置くかが何を作るかを決めています。

限界

法律ができても、その土地が畑のまま残る保証にはならない

ロサリオを最初に置きます。2004年の条例が与えたのは公有の空き地の一時的な利用権でした。恒久の権利ではありません。当サイトの収録によれば、国際的に高く評価されたロサリオでも近年は公的な支援の細りとともに参加する世帯が減っています。畑が消えるのは条例が廃止されるときだけではありません。予算が付かなくなり、種と資材と研修が止まり、市が伴走しなくなれば、条例は残ったまま畑だけが無くなります。ドイツの連邦小庭園法が借地料の上限で土地の値段そのものから畑を切り離したのに対して、南米の条例と法律は今のところ地代に踏み込んでいません。土地の値段が上がる局面で何が起きるかはまだ試されていません。

ブエノスアイレスの例はもう一段はっきりしています。市法6377号の第8条は公有地を共同菜園に使う許可の申請を認めますが、申請できるのは公的な主体だけではありません。私的な法人も申請できます。菜園の側の団体はここを問題にしました。エル・レシクラドールで農業経済を担当するアグスティン・レウスは法案が薄められた形で示され、与党側の多数で押し切られたと述べています。法律ができたこと自体が現場にとっての勝利とは限らない、という例です。制度化の年表を作るとき、その年に現場が何を言ったのかも一緒に読む必要があります。ただし第8条には別の読み方もあります。申請できる主体を広く取ったことで、法人格を持つ市民団体が公有地の許可を取る道も開きました。批判の的になったのは条文の広さで、法律そのものの是非ではありません。

それでも法律ができたことには意味があります。ブラジルのPNAUは自治体の予算が変わっても消えない基準点を作り、公共調達と信用枠という具体的な資金の道を書き込みました。キトの2025年の条例は新しい住宅開発に菜園用の場所を求めるところまで踏み込んでいます。畑を「あったらいい緑」から「開発のときに確保すべき用地」へ移す書き方です。この二つは20年の実践が先にあったから書けた条文でもあります。順序が逆であることは弱点であると同時に、条文の具体性を支えた条件でもありました。キトの条例には数値目標も入りました。市内およそ2,000か所の都市菜園を2030年までに4,000か所へ。種と講習は経済振興公社ConQuitoが配り、収穫物はゾーン行政区とConQuitoが開くビオフェリアで売ります。既存の伝統市場に不利益を与えないことも条文に明記されました。

振り返り

今日渡したのは6か国を貫く一本の順序である

辿った道筋をもう一度並べ直します。出発点は1989年のアルゼンチンの経済危機で、翌1990年8月3日にINTAの理事会決議でProHuertaが始まりました。1993年7月15日、ベロオリゾンテが市条例6.352号で食料安全保障を市の政策にします。2001年の崩壊を受けて2002年にロサリオが都市農業プログラムを立ち上げ、2004年の条例で一時的な利用権と「パルケ・ウエルタ」を制度化しました。同じ2002年にキトがAGRUPARを始め、2005年以降はCONQUITOが実施しています。2012年9月にリマが枠組み条例1629号、2015年9月11日にボゴタが市議会合意605号。2020年12月3日にブエノスアイレス市法6377号、2024年7月29日にブラジルのPNAU(法律14.935号)が官報に載り、2025年3月にチリの法案17.433-06が提出され、同年4月29日にキトが新条例を承認しました。

重要な論点を三つ言い直します。第一に、順序が逆です。ドイツは1919年7月31日の小庭園・小借地令が先にあり、その上に協会と区画が積み上がりました。南米では危機への現場対応が先で、国の法律は34年遅れました。第二に、20年を支えたのは自治体です。ベロオリゾンテの1993年、ロサリオの2004年、リマの2012年、ボゴタの2015年。どれも国の法律とは無関係に動きました。第三に、条文に入った言葉が違います。連邦小庭園法が400平方メートルと借地料の上限を書くのに対し、ボゴタの合意605号は「アグロエコロジー農業」を名称に持ち、8つの栽培方法を列挙しました。所管は緑地や都市計画ではなく食料安全保障・社会開発・経済振興の側にあります。

わかっていないことと留保も書いておきます。第一に、チリの法案の現在地です。2025年3月の提出と委員会付託までは確認できましたが、その後の審議の進み方と成立の有無について、本記事は確認できていません。成立したという記録は見つかっていません。第二に、数字の出どころです。ProHuertaの63万7,847菜園と400万人超は政府が30年を総括した記事の数値で、時点は2020年前後です。同じプログラムを「全国の約8割の自治体・約300万人」とする公表もあり、数え方で幅が出ます。AGRUPARの3,679菜園やロサリオの2,500トンも公表の時点が資料ごとに違います。第三に、この記事は「法律が来た」ことを軸に並べていますが、法律が守れなかった畑を数えていません。条例のあとに消えた菜園がどれだけあるのかは今日の記事では示せていません。想定される反論もここにあります。制度の年表を作ること自体が制度に載らなかった実践を見えなくするという批判です。

今日の位置づけは年表です。明日からの6日はこの年表の一点ずつを国ごとに拡大します。Day2はアルゼンチンで、2001年の崩壊が作った制度をロサリオという原型から見ます。今日は2004年の条例と2015年の800ヘクタールを一行ずつ触れただけです。Day3はブラジル、自治体が31年続けて国がやっと追いついた経緯。Day4はコロンビア、紛争のあとの土をメデジンとボゴタで。Day5はペルー、雨の降らない都市リマの水と共同鍋。Day6はエクアドル、20年続いたキトのAGRUPARの参加型の中身。Day7はチリ、まだ法律になっていない国です。読み進めるときは「危機・自治体・国法」という三段のどこの話なのかを意識しておくと、7日分が一本の線になります。

この記事の要点

  • 南米では畑が先で法律があとに来た。1990年8月3日にProHuertaが始まってから、ブラジルの国家政策PNAU(法律14.935号)が官報に載る2024年7月29日まで34年ある。
  • 最初に畑を作らせたのは危機だ。ProHuertaは1989年の経済危機、ロサリオは2001年の崩壊、キトのAGRUPARは1999年に人口の48%が貧困線を下回った状況への応答である。
  • 20年を支えたのは自治体である。ベロオリゾンテの1993年の市条例6.352号は市の年間予算のおよそ2%、年間2,500万米ドル前後を要したとされる。
  • 国の法律は9年かけて来た。ブラジルのPNAUのもとになった法案906/15号は2015年に下院議員パドレ・ジョアンが提出し、2024年に法律14.935号として成立した。
  • 条文の語彙が違う。ドイツの連邦小庭園法が400平方メートルと借地料の上限を書くのに対し、ボゴタの合意605号は「アグロエコロジー農業」を名称に持ち8つの栽培方法を列挙した。
  • 所管は緑地ではなく食と福祉の側にある。ProHuertaは社会開発を担当する省とINTAの共同、ベロオリゾンテは食料供給の局、キトのAGRUPARは経済振興公社CONQUITOが担う。
  • 法律ができても土地は保証されない。ロサリオの2004年の条例が与えたのは一時的な利用権であり、ブエノスアイレス市法6377号の第8条は公有地の私的利用を許すとして菜園側から批判された。

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