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ミュンヘンの財団が1,000の庭をつなぐ——anstiftung と「自分でつくる」ネットワーク

法が守らない庭の支え手

2026-09-07 · 18

特集 · ドイツはなぜ「庭の国」になったのか——法・組織・財団が守った150年6 / 7

パン箱や屋上の小さな庭が細い線で中央の芽の円につながる、財団のネットワーク地図をリソグラフ風に描いた図

ここまでの5日で見てきたのは法が庭を守る仕組みでした。しかし1983年の連邦小庭園法が守るのはクラインガルテンだけです。街の空き地、団地の隙間、旧墓地に生まれた共同菜園はその法の外側にあります。では誰が支えているのか。ミュンヘンに財団がひとつあります。anstiftung——掃除機と調理器で知られるヴッパータールの企業ヴォアヴェルクを率いた一族に生まれたイェンス・ミッテルステン・シャイトが1982年に作った研究団体が出発点です。2017年から公益財団として全国1,000の共同菜園、2025年時点で400を超える異文化間菜園、そして1,800を超える修理イニシアチブをネットワークでつないでいます。助成の申請書は様式自由・3ページ以内・写真なし。土地は買わない、家賃も人件費も出さない。それでも庭は増え続けています。法の外側で庭を残しているもう一つの仕組みを来歴・お金・事業・思想の順に確かめます。

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3分でわかる本記事の内容

  • anstiftung はミュンヘンの公益財団である。1973年にヴォアヴェルクのオーナー家のエーリヒ&シャルロッテ・ミッテルステン・シャイト夫妻が ertomis を、1982年に息子イェンスが anstiftung を設立し、2008年に統合、2017年から独立財団になった。
  • 財団の全国ネットワークには1,000の共同菜園が登録されている。異文化間菜園は2025年時点で400超。原型は1996年にゲッティンゲンで移民家族が始めた庭。財団は2003年の「異文化財団」構想からその横展開を担ってきた。
  • 助成の設計そのものが主張になっている。申請は様式自由・3ページ以内・写真なし。園芸道具や種苗、自前で作る設備の材料は出す。家賃・人件費・土地購入・外注工事・既製の高床花壇は出さない。
  • 庭だけの財団ではない。2014年に立ち上げた修理イニシアチブのネットワークにはドイツで2024年までに約2,000生まれた団体のうち1,800超が参加している。庭・修理・開かれた工房を「自分でつくる(Selbermachen)」で束ねている。
  • 土地は不安定なままである。ベルリンのプリンツェッシンネンゲルテンは2009年から市の土地を一年ごとに借り続け、2019年にノイケルンの旧墓地へ拠点を移した。法ではなくネットワークが庭を続けさせる方式である。
  • 本記事の立場は財団方式が1983年法より優れているというものではない。二つは別のものを守っている——法は区画を、財団は始め方の知識を。その二層が重なっていることがドイツの特徴だと考える。

はじめに

クラインガルテンしか守らない1983年法

昨日の第5回で見た連邦小庭園法は区画の上限面積、小屋の大きさ、賃料の上限、そして解約の制限を一本の法律に束ねました。強い保護です。ただしその保護は「クラインガルテン」という定義に当てはまる庭にしか及びません。協会(フェアアイン)を作り、区画に分け、賃貸借の関係を結ぶ——この形をとらない庭は法的にはただの土地利用です。2000年代以降にドイツの都市で増えたのはまさにこちらの形をとらない庭でした。共同で耕し、区画に分けず、収穫を分け、土地は毎年借り直す。法が想定していない庭です。

法がないところで何が庭を続けさせているのか。答えの大きな部分がミュンヘンの財団 anstiftung です。この財団は庭を所有しません。土地も買いません。にもかかわらず全国の共同菜園を地図に載せ、知識ベースを運営し、設立相談に応じ、少額の立ち上げ助成を出し、各地の集まりと夏のキャンプで人を会わせています。所有でも法でもなく、地図と助成と会合で庭を残す。この方式が実際に何をしていて、どこで力尽きるのかを確かめます。

来歴

自給の研究に回った掃除機会社のオーナー家の財産

財団の来歴は二本立てです。一本目は1973年、エーリヒ&シャルロッテ・ミッテルステン・シャイト夫妻が設立した ertomis 財団です。エーリヒは1943年に兄とともにヴッパータールの企業ヴォアヴェルクの経営を引き継いだ人物。この一族は創業者ではなく、20世紀に同社を率いるようになったオーナー家です。ertomis の重点はナチ時代研究・建築・医学であって庭ではありませんでした。二本目は1982年、その息子イェンス・ミッテルステン・シャイト(1941年生)が設立した公益研究団体 anstiftung です。カルヴァン派の実業家の家に育ち、実家の会社で実習を経たのちハイデルベルクとミュンヘンで哲学・社会学・政治学を学び、ミュンヘンの教会で社会教育の仕事をしました。博士論文は中断しています。設立の目的は自前の労働(Eigenarbeit)と自給、そして日常における持続可能な行動を研究し、支援することでした。

二つは2008年に統合され、Stiftungsgemeinschaft anstiftung & ertomis gGmbH になりました。そして2017年、民法上の公益財団として再び anstiftung の名で登場します。現在の理事会(Vorstand)は社会学者クリスタ・ミュラーと、ミュンヘンの連帯農業「カルトッフェルコンビナート」創設者の一人ダニエル・ユーバーアルの二人。評議会(Kuratorium)は創設者の子であるアンナ・ミッテルステン・シャイト(議長)とヨナス・ミッテルステン・シャイト、法律家のニナ・ペトラッシュで構成されています。カルトッフェルコンビナートは2012年に始まり、いまでは2,300世帯超に野菜を届けるドイツ最大級の連帯農業協同組合です。財団の運営には研究者と実践者が両方入っているということです。

この来歴には読み落とすと惜しい点があります。財団の元手は市場で稼がれた企業家一族の財産であり、公金ではありません。だから助成の条件を国の政策目標に合わせる必要がなく、成果の測定義務も課されません。前の週の特集で見た「評価できなければ資金が出ない」という圧力がこの財団の周辺にはほとんど働いていない。それが良いことかどうかは後で検討します。まず事実として押さえておく価値があります。イェンス・ミッテルステン・シャイトは2010年5月にドイツ財団連合会からドイツ寄付者賞(Deutscher Stifterpreis)を受けています。

事業① ネットワーク化

財団がしたのは庭づくりではなく始め方の横展開

既刊の国別レポート『ドイツのアーバンファーム事情』は1996年にゲッティンゲンで移民家族が始めた国際庭園の誕生を1節で扱いました。ここではその物語を繰り返しません。確かめたいのはその先です。1998年に協会となったゲッティンゲンの国際庭園は現在3か所・計11,000平方メートルで25か国出身の約70家族が耕しています。単体としては大きくない。にもかかわらずこれが「原型」と呼ばれるのは同じ形が全国に複製されたからです。その複製を担ったのが財団でした。2003年に anstiftung は「異文化財団(Stiftung Interkultur)」というプロジェクトを立ち上げ、異文化間菜園を研究し、支援することを専門の任務にします。

その事業内容は地味です。全国の菜園プロジェクトをつなぐ、立ち上げの相談に乗る、広報とファンドレイジングを助言する、そして場合によっては立ち上げ資金を出す。庭を作りに行くのではなく、作りたい人に前例と手順と少額の資金を渡す。結果として2025年時点でドイツ全土に400を超える異文化間菜園のプロジェクトが存在し、さらに準備中のものがあります。既刊レポートは2013年ごろの数字として「およそ190」と書きました。この12年でおよそ倍になった計算です。

財団自身の説明によれば、この新しい都市の庭の運動を「異文化庭園ネットワーク」の時代からずっと伴走してきたのが anstiftung です。異文化間菜園はやがてそれ以外の共同菜園と一緒に扱われるようになりました。現在の全国ネットワークには1,000の菜園プロジェクトが登録されています。庭の性格は多様です。環境教育を目的とするもの、生物多様性や気候対策を掲げるものがあり、都市だけでなく小さな自治体や村にも広がっています。財団の役割はその多様さを一つの標準に揃えることではなく、互いの存在を見えるようにすることに置かれています。

事業② お金

申請書は3ページ以内、写真は入れるな——助成の設計そのものが主張

財団の助成要綱は短く、そして具体的です。申請は様式自由。財団は理由をこう書いています——プロジェクトには書類の山を処理するのではなく、効果を発揮してほしいから。ただし最低限の記載事項はあります。目標、内容、方策、費用と日程の計画、そして22桁のIBAN。プロジェクトの説明はA4で3ページを超えないこと、写真は入れないこと。提出はメールのみ。有効な非課税証明(Freistellungsbescheid)の写しを添えること。申請できるのは公益団体だけです。

何に出すかの線引きも明快です。出るのは園芸道具、菜園グループが自分で設備を作るための材料、手仕事のための材料、実践ワークショップの材料、苗、泥炭を含まない土、そして固定種の種子。出ないのは経常的な運営費と人件費、土地の取得、外注した建設工事とその他の役務、フェンス、そしてコンポストトイレや高床花壇といった既製品です。既製品を買う金は出さない。それを自分で作る材料代は出す——この一行に財団の思想がほぼ全部あります。加えて条件が三つ。庭を使う人たちが計画段階から参加していること、化学肥料と農薬を使わないこと、そして短期の暫定利用は助成しないこと。

報告の求め方も特徴的です。助成は返済不要の給付。事業目的に沿って買った物は目的どおりに使うこと、井戸のような動かせない投資は最低5年間使い続けること、物品は台帳に記録すること。会計報告は「短い実績報告(kurzer Sachbericht)」で足り、領収書はプロジェクト側に残します。前週の特集で見た、事前・中間・事後・追跡という4段階の評価サイクルとは対照的です。ただしここには代償があります。人件費が出ない以上、この助成だけでは誰も雇えません。財団の助成は無償の労働がすでにあることを前提に設計されています。

事業③ 場と言葉

1,000の庭を一つの運動にした地図と知識ベースと夏のキャンプ

財団が運営するプラットフォーム urbane-gaerten.de には全国の共同菜園の地図、庭ごとの自己紹介と連絡先、そして知識ベースがあります。知識ベースの区分は運営・コミュニケーション、インフラと庭の設計、園芸上の問い、その他の実践テーマ。共同菜園の立ち上げ方を独習する講座も置かれています。新しい庭は自分で登録できます。修理の側にも同じ構造のプラットフォーム reparatur-initiativen.de があり、こちらはイベントと材料と設立方法を扱います。財団の実務の大半はこの二つのサイトと、その裏側にある相談窓口です。

運動としての言葉は2014年に出ました。アルメンデ・コントーア、プリンツェッシンネンゲルテン、キーツガルテンといったベルリンの共同菜園、ケルンのノイラント、「もう一つの世界は植えられる」、そして anstiftung が関わり、同年8月末にニュルンベルクで開かれた第3回の都市共同菜園サマーキャンプで最終版が示され、10月に公表されました。標語は「都市は私たちの庭(Die Stadt ist unser Garten)」。当初60を超える菜園イニシアチブが署名し、その後およそ200のプロジェクトに広がりました。主張は明快です。共同菜園を公共のコモンズとして認めること、消費を強いられない公共空間、都市計画上の支援、そして公共空間と公共財の民営化への反対。

サマーキャンプはいまも続いています。2024年は8月30日から9月1日までドレスデンで、2026年は6月12日から14日までライプツィヒで開かれました。プログラムを見ると、庭の菌糸、尿による施肥、果樹、灌漑、暑さと乾燥への対処といった技術の話と並んで「庭を守る——用地確保の発想と戦略」という項目があります。土地をどう確保し続けるかがこの運動では毎年の議題です。法で守られているクラインガルテンの世界ではまず出てこない議題です。

思想

庭・修理・工房を一語で束ねた——Selbermachen

anstiftung が支援するのは庭だけではありません。対象は三種類の取り組みです。都市および異文化間の共同菜園、開かれた工房(ファブラボや自転車工房を含む)、そして修理イニシアチブ、いわゆるリペアカフェ。共通するのは非営利であること、知識を開いて共有すること、そして技術と道具をオープンソースの原則で民主化することです。修理の側の規模も小さくありません。財団が2014年に立ち上げた修理イニシアチブ・ネットワークにはドイツで2024年までに約2,000生まれた団体のうち1,800超が参加しています。全国ネットワーク会議、地域の教育・交流イベント、共同のウェビナーとワークショップが庭と同じ形で回っています。

この三つを一つに束ねる言葉が「自分でつくる(Selbermachen)」です。財団の研究部門はこの束ね方を学問的にも扱います。掲げるのはコンヴィヴィアリティ、コモンズ、自給、都市のサブシステンスといった概念。フェミニズムや脱植民地の理論、ケアの経済も参照します。研究の姿勢を財団自身は「方法的に統制された近さ」と呼びます。対象に共感しながら科学的な距離は保つという意味です。伴走研究を行い、公的資金による超学際プロジェクトに参加し、自前の研究も立てる。研究部門を率いるのは理事長でもあるクリスタ・ミュラーとローベルト・イェンデです。

運動に言葉を与えたのはこの財団から出た一連の本です。クリスタ・ミュラー『異郷に根を張る』(oekom、2002年)が異文化間菜園を、同『アーバン・ガーデニング——都市への庭の帰還』(oekom、2011年)が都市の庭を主題化しました。アンドレア・バイアー、ミュラー、カリン・ヴェルナーの共著『コモニストの都市——DIYの新しい都市空間』(transcript、2013年)は庭を「コモンズを作る実践」として位置づけ、バイアー、トム・ハンジング、ミュラー、ヴェルナー編『世界を修理する——ポスト資本主義的実践としてのオープンソースと自分でつくること』(transcript、2016年)は修理へ射程を広げました。2024年にも『未来の都市へ——変容の場としての都市の庭』が出ています。庭を助成する財団が同時に庭を語る語彙を作ってきたということです。

対比

庭を残すのは法ではなくネットワーク——ただし土地は毎年借り直し

この方式の限界はベルリンのプリンツェッシンネンゲルテンを見ればわかります。既刊レポートは2009年の誕生を扱いましたから、ここでは土地の話だけをします。モーリッツ広場の約6,000平方メートルの土地は60年以上も更地のままでした。市から借りているのは一年ごとです。だから畑そのものを可動式に作った——パン屋の運搬箱やテトラパック、米袋を植木鉢にして、いつでも動かせるようにしたのです。これは詩的な工夫ではなく、法的保護がないことへの技術的な回答でした。1983年法の下にあるクラインガルテンなら解約制限が働きます。ここでは働きません。

その答えは実際に使われました。2018年から準備が進み、2019年春にノイケルンの聖ヤコビ新墓地の使われなくなった一角に新しい菜園が開かれます。運営していた非営利会社ノマーディッシュ・グリューンは2019年末にそちらへ移り、プリンツェッシンネンガルテン・コレクティフ・ベルリンとして活動を続けています。理由は場所の狭さと落ち着かなさ、そして埋葬文化の変化で中欧の墓地に余地が生まれつつあるという読みでした。モーリッツ広場の側はクロイツベルクの発意として残り、コモン・グラウンズという協会と組んで緑地の維持を続けています。庭は消えませんでした。ただし10年で場所を移しました。

ここからドイツの庭が二層構造になっていることが見えてきます。下の層は法です。1983年法は区画を守ります。ただし協会と賃貸借という形をとる庭にしか及びません。上の層はネットワークです。財団は土地を守れません。そのかわり庭の始め方を守り、始めた人たちを互いに会わせます。どちらか一方では足りません。法だけなら法の定義に合わない庭は生まれる前に消えます。財団だけなら生まれた庭が土地を失えばそれまでです。しかも財団の助成要綱は「短期の暫定利用は助成しない」と明記しています。年ごとの借地で始まる庭に対して財団の側も無条件ではないのです。

振り返り

今日確かめたのは法が届かない場所にある別の支え

今日の道筋をたどり直します。出発点は昨日見た1983年連邦小庭園法が守るのはクラインガルテンだけだという事実でした。そこから法の外側にある共同菜園を誰が支えているのかを問い、ミュンヘンの財団 anstiftung を四つの角度から見ました。第一に来歴——1973年の ertomis と1982年の anstiftung、2008年の統合、2017年の独立財団化。元手はヴォアヴェルクのオーナー家の私財であり、公金ではありません。第二に資金の出し方——様式自由・3ページ以内・写真なしの申請書、道具と材料には出すが家賃と人件費には出さない線引き、短い実績報告で足りる会計。第三に事業——地図、知識ベース、相談、2014年のマニフェスト、毎年の夏のキャンプ。第四に思想——庭・修理・工房を「自分でつくる」で束ね、コモンズとして研究する姿勢です。

重要な数字を三つ再掲します。第一に規模。財団の全国ネットワークには1,000の共同菜園が登録され、異文化間菜園は2025年時点で400を超えます。原型のゲッティンゲン国際庭園は3か所11,000平方メートル、25か国出身の約70家族という規模にすぎません。第二に庭以外の広がり。2014年に始まった修理イニシアチブ・ネットワークには2024年までにドイツで生まれた約2,000団体のうち1,800超が参加しています。第三に土地の不安定さ。プリンツェッシンネンゲルテンは約6,000平方メートルを一年ごとに借り、2018年から準備して2019年にノイケルンの旧墓地へ移りました。数字が示すのはこの方式が広がりを作るのは得意でも、場所を固定するのは不得手だということです。

わかっていないことも書いておきます。第一に、財団の年間助成総額と資産規模を公開資料から確認できませんでした。したがって「1,000の庭を支えている」と言うときの一件あたりの金額は本記事では示せません。第二に、地図に登録された1,000という数は自己申告に基づく登録数であり、実際に活動している庭の数とは一致しない可能性があります。第三に、異文化間菜園の「400超」という数字も統一された定義や台帳に基づく集計ではありません。第四に、反論もあります。人件費を出さない助成は無償労働を前提にする点で担い手の負担を制度として温存しているという批判が成り立ちます。財団はこの点について明示的な説明をしていません。

この特集における今日の位置づけは法の話に対する補集合です。Day2からDay5までは1919年の小庭園令から1983年の連邦小庭園法まで、法と組織がどう庭を守ってきたかを追いました。今日はその法が届かない場所を扱いました。明日の最終回はこの二層構造がドイツ固有のものなのかを他国と並べて検証します。イギリスは1908年以来のアロットメント法で自治体に供給義務を課し、フランスは1952年法のジャルダン・ファミリオ、ポーランドの家族菜園は登録利用者の数でドイツに並びます。それでも「法で守る庭」と「財団がつなぐ庭」の両方を持つ国が他にあるのか。日本が1990年の市民農園整備促進法でクラインガルテンを輸入したとき、何を取り入れ、何を取り落としたのか。庭を街に残すのは法か、ネットワークか、その両方か——特集全体の問いに明日答えます。

この記事の要点

  • 法の外側にも庭を支える仕組みがある。ミュンヘンの財団 anstiftung は土地を所有せずに全国1,000の共同菜園と400超の異文化間菜園(2025年)をネットワークでつないでいる。
  • 財団の元手は公金ではなく企業家一族の私財である。1973年の ertomis と1982年の anstiftung が2008年に統合し、2017年から独立した公益財団として動いている。
  • 助成の設計が思想を語っている。申請は様式自由・3ページ以内・写真なし。既製の高床花壇は買えない。自分で作る材料代は出る。会計報告は短い実績報告で足りる。
  • 支援の対象は庭だけではない。2014年に始めた修理イニシアチブのネットワークには2024年までにドイツで生まれた約2,000団体のうち1,800超が参加し、庭と同じ形で運営されている。
  • 運動の言葉も財団から出た。クリスタ・ミュラーらの著作が2002年から2024年まで続き、庭を「コモンズを作る実践」として位置づけた。助成する側が語彙も作った点は珍しい。
  • ネットワーク方式は広がりを作る。ただし場所は固定できない。プリンツェッシンネンゲルテンは約6,000平方メートルを一年ごとに借り続け、2019年にノイケルンの旧墓地へ移った。
  • ドイツの庭は二層構造である。1983年法は区画を守り、財団は始め方を守る。どちらか一方では庭が生まれないか、生まれても土地を失えば終わる。

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