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ミッゲの庭を歩く——ブリッツ、レーマーシュタット、テルテンの菜園は100年後どうなったか

思想は既刊。今日追うのは面積と年号と現況の三点

2026-09-04 · 18

特集 · ドイツはなぜ「庭の国」になったのか——法・組織・財団が守った150年3 / 7

馬蹄形団地と外側へ伸びる菜園帯、隣に並ぶ連棟住宅の庭を上から見た平面図をリソグラフ風に描いた図

2026年7月26日、韓国・釜山で開かれた第48回ユネスコ世界遺産委員会がベルリンのヴァルトジードルング・ツェーレンドルフを世界遺産「ベルリン近代集合住宅群」の7件目の構成資産として登録しました。1926年から32年にかけて建てられたこの団地の外部空間を設計したのは造園家レーベレヒト・ミッゲとマルタ・ヴィリングス=ゲーレです。定礎から100年目。ミッゲが庭を引いた団地がもう一つ世界遺産になりました。本記事はミッゲの生涯も思想も扱いません。それは既刊『ヒトラーとミッゲ——「血と土」の時代の自給菜園』で書きました。今日見るのは土地です。ベルリン・ブリッツの馬蹄形団地、フランクフルトのレーマーシュタット、デッサウのツィービヒクとテルテン。1920年代に住宅とセットで引かれた自給菜園が100年後に何平方メートル残り、誰の持ち物になり、どの制度で守られ、どこで増築と車庫に変わったのか。面積と年号と現況だけを追います。

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3分でわかる本記事の内容

  • 2026年7月26日、釜山の第48回世界遺産委員会がヴァルトジードルング・ツェーレンドルフを「ベルリン近代集合住宅群」の7件目に加えた。1,917戸の外部空間はミッゲとヴィリングス=ゲーレの設計である。
  • ブリッツの馬蹄形団地は1925年から30年にかけて建設され、全1,963戸のうち679戸が庭付きの連棟住宅である。2008年に世界遺産、2010年にベルリンの庭園記念物に登録された。
  • レーマーシュタットでは菜園そのものが文化財である。ヘッセン州の記念物登録簿は保護範囲に「南側テラス下の永代借地菜園」と「あずまやを含むクラインガルテン」を明記している。
  • バウハウス直営のデッサウ・テルテンは1926〜28年に314戸、住居57〜75m²に対し庭は1戸350〜400m²。その庭に住民が増築と車庫を建てた。1994年の保存・意匠条例が守るのは外観である。
  • ミッゲがデッサウで庭を引いたのはテルテンではない。ツィービヒクのクナルベルク団地(1926〜28年、183戸)であり、その183戸はすべて今日まで菜園を持っている。
  • 本記事の立場は保存制度の評価ではない。制度が守るのは建物の外観であり、菜園が菜園であり続けるかどうかは別の条件で決まるという観察を四つの現地から示す。

はじめに

思想は既刊。今日見るのは土地の面積と現況

レーベレヒト・ミッゲの生涯と思想は既刊の探究コラム『ヒトラーとミッゲ——「血と土」の時代の自給菜園』で扱いました。『緑のマニフェスト』が何を主張したか、住宅と菜園を一体に設計する生産的ジードルングとは何だったか、都市の物質循環をどう構想したか、そしてその語彙が「血と土」にどう転用されたか。それらは繰り返しません。本記事はミッゲの思想史でもバウハウスの思想史でもなく、彼らが実際に引いた土地の記録です。

前回のDay2「1919年7月31日——飢餓が書かせた小庭園令」では庭を守る仕組みが法文になった日を見ました。今日はその法の外側にある庭を歩きます。ワイマール期の近代団地が住宅に付属させた私有の自給菜園はクラインガルテンとは別の存在です。借地でも協会員でもなく、家に付いてくる畑でした。それが100年後にどうなったか——ベルリン・ブリッツ、フランクフルト・レーマーシュタット、デッサウのツィービヒクとテルテンの四つを面積・年号・保護制度・現況の四点で確かめます。

出発点

2026年7月26日、ミッゲが緑地を設計した二つ目の世界遺産団地

ベルリン州文化財局の発表によれば、2026年7月26日に韓国・釜山で開かれた第48回ユネスコ世界遺産委員会がヴァルトジードルング・ツェーレンドルフを世界遺産「ベルリン近代集合住宅群」の7件目の構成資産として登録しました。この世界遺産は2008年に6団地で登録されており、18年ぶりの拡張です。ヴァルトジードルング・ツェーレンドルフは1926年から32年にかけてブルーノ・タウト、フーゴ・ヘーリング、オットー・ルドルフ・ザルヴィスベルクの設計で建てられた1,917戸の団地です。内訳は3階建てまでの共同住宅1,108戸と戸建て809戸。松林のなかに建つこの団地の外部空間を設計したのがミッゲとマルタ・ヴィリングス=ゲーレでした。

登録の理由は庭ではなく団地の全体像です。連続する陸屋根、色彩の使い分け、既存の森への収まり、交通の処理。ただし発表文は外部空間の設計者としてミッゲの名を明記しています。つまりミッゲの手が入った団地は2008年のブリッツに続いて2件目が世界遺産の構成資産になりました。制度が彼の仕事を保護対象として認めたのはこの100年でこれが二度目です。認められたその中身——実際の菜園はいまどうなっているのか。ここから四つの現地を歩きます。

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