チリの都市計画には農業という用途区分が無い——法案が埋めようとしているのはその空白だ
上限500平方メートル、登録制、放置地の一時利用。2025年3月24日に提出された法案は下院でまだ一度も採決されていない
2026-09-15 · 19 分
特集 · 危機が先、法律はあと——南米6か国のアーバンファーム7 / 7

チリの都市計画に農業という用途区分はありません。2001年6月25日の住宅都市開発省令75号が一般都市計画建設条例を改め、土地の使い道を住居・設備・生産活動・インフラ・公共空間・緑地の6つに標準化しました。第2.1.24条です。この6つのどれにも農業は入りません。それでもチリに菜園の法律が無いわけではありません。1941年2月5日の法律6.815号が住宅公庫の資金の30%を労働者と家族のための菜園に充てると定め、この法律はいまも廃止されていません。ただし条文が名指しした公庫のほうは1953年に消えました。2025年3月24日、6人の下院議員が新しい都市菜園法案を提出します。法案番号17.433-06、都市菜園を最大500平方メートルと定めて登録制度を置く内容です。1941年の法律が定めた菜園の面積は5,000平方メートル以上でした。
3分でわかる本記事の内容
- チリの都市計画に農業の用途区分は無い。2001年6月25日の省令75号が土地の使い道を6つに標準化し、そのどれにも農業が入らないためである。
- 2001年より前は自治体に迂回路があった。農業専用の区域指定と最小区画面積という二つの直接的な方法があり、5事例の保護面積は1990年代に3,000ヘクタールを超えていた。
- 国の菜園法はある。1941年2月5日の法律6.815号は廃止されておらず、譲渡・抵当・分割の禁止を登記させる条文まで持つ。ただし実施にあたる住宅公庫は1953年に消えた。
- 区画の大きさが10分の1になった。1941年の法律は菜園を5,000平方メートル以上と定め、2025年の法案は都市菜園の上限を500平方メートルとする。線の意味が下限から上限へ裏返っている。
- 法案は2025年3月24日から動いていない。下院の公開データに採決の記録は一件も無く、6人の議員による議員提出法案として受理されたところで止まっている。
- 本記事の立場は、法案が新しく作るのは畑ではなく名簿だというものである。7日で見た6か国のうち、地代の上限と借地期間を書いた国は一つも無い。
はじめに
チリを「法律がまだ無い国」と呼ぶのは正確ではない
法律6.815号は1941年2月5日に裁可され、3月4日に官報第18903号へ載りました。所管は労働省です。題名は「労働者菜園の造成と家内工業の発展・振興のための資金を充てる」。第1条は住宅公庫(カハ・デ・ラ・アビタシオン・ポプラル)の最高評議会に対し、手持ちの資金のうち毎年30%を労働者菜園と家族菜園、労働者庭園と家族庭園の造成に、5%を家内工業とくに農畜産のそれの振興に充てるよう命じています。国立議会図書館のデータベース「レイ・チレ」でこの法律を引くと、最新版の日付は1960年1月8日、状態は「廃止されていない」と記録されています。85年前の条文がいまも生きているわけです。
生きていないのは仕組みのほうです。住宅公庫は1936年10月8日裁可の法律5.950号で作られました。1953年、住宅政策の担い手は住宅公社(CORVI)に移り、公庫は姿を消します。法律6.815号の第9条にはその公社の名前が入っていますから、条文はあとから書き換えられたことが分かります。そして公社自体もいまはありません。第1条が資金の配分を命じている相手はもう存在しない機関です。条文が残ったまま動かす機関が無くなるという事態はこの特集で既に見ました。Day5のリマでは枠組み条例1629号が一度も廃止されないまま、市長の交代のたびに菜園事業が解体されたり再開されたりしています。止まるのは条文ではなく予算と機関のほうです。チリはその極端な例で、条文だけが85年残りました。
今日の順序を先に書いておきます。まず1941年の法律が何を書いたかを条文で確かめ、その法律で買われた土地がどうなったかをサンティアゴ南部のラ・ピンタナで見ます。次に2001年の省令75号が自治体から何を取り上げたかを5つの事例の面積の推移で追います。そのうえで2025年の法案を開き、上限500平方メートルと登録制と放置地の一時利用という三つの中身をDay2からDay6までの各国の制度と並べます。最後に、いま実際に耕されている場所を数字で確かめ、法案が触れていない部分を数えます。振り返りは今日の記事ではなく特集7本の総括に充てます。
空白の場所
畑が入れる用途区分が無いので、自治体は畑を別の用途に偽装してきた
2001年6月25日の住宅都市開発省令75号は一般都市計画建設条例を改正しました。都市計画の道具を作るときの規則を新しく定めた改正で、その中心が用途の標準化です。第2.1.24条は土地の使い道を住居・設備・生産活動・インフラ・公共空間・緑地の6つに整理しました。農業はこのどれにも入りません。同じ改正は市の都市計画(PRC)が定められる最小の区画面積を市街地では2,500平方メートルまでに制限し、その例外にも農業を含められないようにしています。ここまでの整理はアナ・サソ=モラタージャ、アレハンドロ・オレジャナ=マクブライド、クラウディア・セルダ=イノストロサの3人が2023年に『EURE』誌49巻147号へ出した論文の記述です。
この3人が調べたのは4つの都市圏にある5つの事例です。グラン・ラ・セレナ、グラン・サンティアゴのペニャロレン区とラ・ピンタナ区(この二つは離れているので別々の事例として扱われます)、グラン・チジャン、グラン・コンセプシオン。農業を考慮した都市計画の道具は21件見つかり、そのうち3件は逆に保護を打ち消していました。論文の結論はこうです。チリの法制度は農地を規制の対象として構想したことが一度も無く、2001年までは自治体が場当たりの道具でそれを補えたが、いまは条文の側が「農業は市街地の用途に入らない」という前提を押しつけている。残された手は偽装です。環境保護の区域か教育施設の敷地という別の用途の中に畑を隠して間接的に守る。この特集でボゴタが8つの栽培方法を配ったのも、リマが畑の置き場所を列挙したのも、それぞれの国の空白の形に合わせた手当てでした。チリの空白は用途区分そのものにあります。
参考・出典
- Biblioteca del Congreso Nacional de Chile / Ley Chile — Ley 6.815, DESTINA FONDOS PARA LA FORMACION DE HUERTOS OBREROS Y AL DESARROLLO Y FOMENTO DE LAS INDUSTRIAS CASERAS(1941年2月5日裁可、3月4日官報第18903号。第2条・第8条・第16条・第17条)
- Biblioteca del Congreso Nacional de Chile / Ley Chile — Ley 5.950, CREA LA CAJA DE LA HABITACION POPULAR(1936年10月8日裁可、10月10日公布)
- Cámara de Diputadas y Diputados de Chile — Datos abiertos, Proyecto de ley Boletín 17.433-06「Fija normas para el fomento, desarrollo y registro de huertos urbanos」(受理2025年3月24日、モシオン、提出者6名、採決記録なし)
- Actualidad Jurídica, Diario Oficial de Chile — Proyecto de ley fija normas para el fomento, desarrollo y registro de huertos urbanos(2025年3月28日。上限500平方メートル、登録制、放置地の一時利用、pernoctar ni residir の禁止)
- Zazo-Moratalla A., Orellana-McBride A. & Cerda-Inostroza C. (2023) — Agricultura urbana en barbecho. Concepciones en la planificación urbana chilena, EURE 49(147)(2001年の省令75号、UAE/SPM/USC/SPE、5事例の面積の推移)
- Gurovich Weisman, A. (2003) — Conjugando los tiempos del verbo idealizar: los huertos obreros y familiares de La Pintana, Santiago de Chile, Cuadernos del CENDES 53(1942年の農場取得、半ヘクタール500区画、1946/1950/1957年の各期、1979〜85年の327.73%)
- Biskupovic C., Maurines B., Carmona R. & Canteros E. (2022) — Food democracy and sustainability in France and Chile: Community gardens promote ecological citizenship, Frontiers in Sustainable Food Systems(ラ・ピンタナの労働者菜園、NGOクルティボス・ウルバノス、ロンキマイの高地菜園)
- Herrera-Oesterheld M. S. ほか (2025) — Social-ecological filters influence plant and invertebrate diversity in educational gardens in a South American metropolis, Scientific Reports(サンティアゴ首都圏の学校菜園33か所、植物362種、無脊椎動物127形態種)
- Ladera Sur — 10 sorprendentes beneficios de los huertos comunitarios urbanos(2007年ラ・ピンタナの市営コミュニティ菜園700平方メートル・11区画、2012年ごろサンティアゴに約40か所)
- Municipalidad de Providencia — Festival de la Cosecha 2026(2026年6月20日、Espacio Verde Urbano、Padre Mariano 140)
制度① 1941年
1941年の法律は畑を農政ではなく住宅金融として作った
法律6.815号の第2条が二つの言葉を定義しています。労働者菜園(ウエルト・オブレロ)と家族菜園は一つ以上の小さな産業か作物を営むのに適した土地を付けた庶民住宅で、その経済的な収益が家族の生活と貸付金の返済に足りるものを指します。労働者庭園(ハルディン・オブレロ)と家族庭園は主に市街地かその周辺に建てられた庶民住宅で、500平方メートル以上5,000平方メートル以下の土地を付けたものです。第8条はさらに条件を足します。これらは20戸以上の集団で設けなければならず、菜園の面積は5,000平方メートルを下回ってはならない。灌漑地であれば、行う農畜産の技術的な要件に見合う水利権を備えなければならない。つまり畑の広さを国が下から支えていました。
資金と人手についても条文があります。第9条は各集団に街路・道・広場・学校・運動場・協同組合の建物と必要な工事のための空間を確保させ、その都市整備の一般費用——街路、広場、共同の設備、下水、上水、電気、農畜産の振興、さらに社会扶助・教育・スポーツといった社会的な機能に向かうものすべて——を国の負担とし、取得者には一切費用をかけないと定めました。第10条は最初の5年間、各集団を農学技師と必要な専門家・農業実務者の指導のもとに置き、その後は農学技師と最小限の監督だけを債務が完済されるまで残すとしています。第6条によれば貸付は「チリ人にのみ」与えられ、法人格を持つ労働者・職員の協同組合、とりわけこの法律より前に作られたものが最優先でした。
そして土地の条文です。第16条は菜園を受け取った人が価格の20%を償還して初めて確定的な所有権の登記を請求できると定め、仮の権利証は譲渡できないとしました。第17条はもっと強い。公庫の許可なしに、これらの菜園と庭園、およびそれに付いた水利権を、全部であれ一部であれ譲渡・抵当設定・分割してはならない。代金が完済されるまでです。しかもこの禁止は不動産登記所に登記しなければならないと条文が指定しています。Day6のキトで最後に見た「できた畑を動かせなくする条文」がここにあります。ただし読み方は一つではありません。この禁止は貸主である公庫の担保を守る条項でもあり、耕す人を縛る条項でもあります。第16条は評議会が三分の二の多数で、近隣に迷惑な振る舞いをした受益者を裁判の形式によらず行政的に排除できるとも書いています。
現場① 1942年〜
その法律で買われた土地は、80年たっても分割されずに残っている
1942年、住宅公庫はサンティアゴ中心部から18キロあまり南にあるラ・ピンタナ農場の権利証を取得しました。かつて大統領アニバル・ピント・ガルメンディア(在任1876〜1881年)が所有していた土地です。新しい法律に沿った模範的な集団を試すための取得でした。公庫がそこに建てたのは1937年に結成されたホセ・マサ協同組合のための「模範集落」で、3寝室の柱廊付き住宅を500区画に建てています。1区画は半ヘクタール、つまり5,000平方メートルです。法律第8条が定めた下限とちょうど同じ寸法でした。第1期は1946年に完成し、第2期が1950年、第3期が1957年に続きます。制度の設計がそのまま地面の上に出た例で、区画の寸法は条文から来ています。
周りの土地は逆の道をたどりました。1950年代に入ると近隣の大きな農地が売られて分譲され、マプウエとラス・ロサスに似た事業が生まれます。1960年前後からは宅地供給事業(オペラシオネス・シティオ)と土地の占拠(トマ)が重なり、人口が急に増えました。1970年と1982年の国勢調査のあいだ、ラ・ピンタナの人口の年平均累積増加率は6.23%で、グラン・サンティアゴの2.27倍です。1982年から92年には8.71%まで上がり、1992年から2002年には1.39%へ落ちます。軍政下で強制移住の受け入れ先になった1979年から1985年の6年間に限ると、居住する世帯数の増加は327.73%、グラン・サンティアゴの平均の12.94倍でした。畑の側から見れば、周囲がすべて住宅になった6年間です。
それでも模範集落は残りました。残した仕組みは都市計画ではありません。協同組合が創設時に決め、いまも維持している取り決めです。その取り決めは土地を分割することと、農業・住居・無害な小規模産業以外の生産活動で近隣の環境を変えることを禁じています。2003年の調査論文はこの集落について、他の市街地に囲まれながら有効に保たれ、協同組合を軸にした共同体の組織のおかげで一つの範型になった、と書きました。2022年に『Frontiers in Sustainable Food Systems』誌へ出たコンスエロ・ビスクポビッチらの比較研究も、チリ側の3つの事例の一つとしてラ・ピンタナの労働者菜園を取り上げ、50年以上続いてきたと記録しています。チリで畑が動かない場所になった唯一の例は法律ではなく隣人どうしの規約が支えていました。
制度② 2001年
2001年に閉じたのは、自治体が使っていた二つの直接的な保護方法である
EUREの論文は自治体が使っていた方法を四つに分類しています。農業専用用途(UAE)は農業だけを許す区域を指定する直接的な方法、最小区画面積(SPM)は区画の大きさを規制して分割を防ぐ直接的な方法です。適合用途(USC)は別の用途の中に畑を含める間接的な方法、そして特定の保護なし(SPE)は計画が農業に触れながら守る方法を置かない状態を指します。論文の分析によれば、直接的な二つが決定的でした。UAEが相容れない用途を防ぎ、SPMが土地の細分化を防ぐ。組み合わせると不動産圧力を抑えられます。2001年の法制はこの二つを使えなくしました。5事例で守られていた面積は1990年代に3,000ヘクタールを超えたあと、下がり続けています。
事例ごとの数字がそれを示します。グラン・ラ・セレナでは1948年の広域指示計画が1,398ヘクタールを農業として扱いましたが、1952年に規制が外れました。ラ・セレナの1964年の市計画は482ヘクタールを果樹園・菜園の区域として、コキンボの1968年の市計画は94ヘクタールを農地区画として守り、1991年の部分計画は最小区画面積を2万平方メートルまで取って339ヘクタールを足しています。ラ・セレナの1992年の市計画は2,125ヘクタールを守りました。ところが2001年の法制のあと、2004年の市計画は農業を住居区域の中の適合用途として扱うだけになり、両市の最新の市計画は農業への言及そのものを消しています。数字の推移だけを追っても、道具が消えた年に何が起きたかは読み取れます。
サンティアゴでも同じことが起きています。ペニャロレン区の1989年の市計画は258ヘクタールを二つの区画で守りましたが、2002年と2018年の改定で一方の保護が外れました。ラ・ピンタナ区では1989年と1994年の広域計画が559ヘクタールを守り、2002年の改定でその区域が東西に分けられます。2018年の広域計画は西側の261ヘクタールの保護を維持しましたが、東側のラ・プラティナ地区は特定の保護なしとなり、住宅と業務の建設と緑地の整備が認められました。グラン・チジャンでは教育施設の用途で守られていた146ヘクタールが2016年の市計画で保護を失い、住宅への転換が開かれています。グラン・コンセプシオンの園芸生産区域は47ヘクタールまで縮みました。ラ・ピンタナとチジャンの保護がどちらも教育の用途だったことは覚えておく価値があります。大学が耕していたから畑が残ったのです。
法案 2025年
法案の500平方メートルは上限であって下限ではない
下院の公開データで法案の記録を引くと、次のようになります。法案番号17.433-06、名称は「都市菜園の振興・整備・登録のための規則を定める」、受理日は2025年3月24日、種類は議員提出(モシオン)、発議院は下院。提出者はハイメ・ムレー・マルティネス、ダニエル・メロ・コントレラス、フェリックス・ゴンサレス・ガティカ、コンスエロ・ベロソ・アビラ、ルベン・ダリオ・オヤルソ・フィゲロア、ホルヘ・サフィリオ・エスピノサの6人です。受理は「適法」と記録されています。そして採決の欄は空です。提出から1年半、下院に一件の採決記録もありません。報道と当サイトの収録は下院の住宅・都市開発・国有財産委員会に付託されたと伝えていますが、下院のサイト本体には到達できなかったため、本記事が一次で確認できたのは受理と採決の不在までです。
中身は官報の法務情報誌が2025年3月28日に要約しています。都市菜園とは都市域内にある最大500平方メートルの栽培空間で、野菜・果物・薬草・花などを生産して自分たちで食べるためのものである。国はこれを登録する制度を置く。菜園を営む者は安全を確保し、社会的・地域的な統合を進める措置をとらなければならない。作業のために人を雇うことができ、その際は脆弱な立場にある人と高齢者を優先できる。そして使われていない土地や明らかに放置され市民の安全に危険を及ぼす土地を一時的に都市菜園に充てることを認める。ただしその場所で夜を明かすことも住むことも許されない——「pernoctar ni residir」と条文は書いています。
この三つをDay2からDay6までの各国と並べると位置がはっきりします。上限500平方メートルという寸法はロサリオが1人に無償で貸している約300平方メートルと同じ桁です。ただし性格が違います。ロサリオの300平方メートルは市が渡す量で、チリの500平方メートルは法が許す上限です。登録制はボゴタの合意605号が植物園に作らせた耕作者と作物の名簿とほぼ同じ発想で、置ける場所の列挙はリマの枠組み条例1629号と同じ形です。つまりチリの法案は隣国が条例でやってきたことを国の法律で一度にやろうとしています。問題は最後の一つです。放置され危険な土地の一時利用という条項はEUREの論文が批判した「農業は他の用途に変わるまでの休耕(バルベチョ)である」という前提を、批判の対象ではなく条文の側に書き込みます。
現場② 2007年〜2026年
いま実際に耕されているのは市の小さな区画と学校の菜園である
サンティアゴ首都圏で最初の市営コミュニティ菜園が開いたのは2007年、場所はラ・ピンタナ区です。面積は700平方メートル、11の区画に分けられていました。2012年ごろにはサンティアゴのコミュニティ菜園はおよそ40か所まで増えたとされます。同じ区に1940年代の模範集落と2007年の菜園が並んでいることになります。寸法を比べてみてください。1941年法が定めた1区画は5,000平方メートル、2007年の菜園は敷地全体で700平方メートル、11に割った1区画は60平方メートル台です。国が住宅金融として畑を配っていた時代と、市が空いた土地に菜園を開く時代とでは、一人に渡る面積が二桁違います。
学校の菜園については実測があります。マリア・ソフィア・エレラ=オエステルヘルトらが2025年に『Scientific Reports』誌へ出した論文はサンティアゴ首都圏の市立学校にある33の菜園を調べ、維管束植物と無脊椎動物の形態種を数えました。記録されたのは植物362種、無脊椎動物127形態種です。植物の豊かさに最も効いていたのは菜園の面積、栽培されている地面の割合、そして夏の灌漑でした。無脊椎動物のほうは植物の種数、裸地の割合(負の効果)、それに周辺の樹木被覆と夏の灌漑が効いています。論文の結論は菜園の生物多様性が周囲の環境よりも菜園の内側の条件と手入れの仕方に強く結びついているというものでした。周りが住宅で埋まっても、水をやり続ければ畑は生き物を抱えられます。
耕している側の顔ぶれも記録されています。ビスクポビッチらの2022年の研究はチリ側で三つの現場を扱いました。ラ・ピンタナの労働者菜園、NGOクルティボス・ウルバノスの取り組み、そしてロンキマイのペウエンチェの高地菜園です。クルティボス・ウルバノスはペニャロレン、サン・ホアキン、レコレタで活動し、中心の拠点は2011年から歴史地区のバリオ・ユンガイに置いています。ロンキマイの高地菜園には27家族が関わっています。予定表も埋まり続けています。プロビデンシア区は2026年6月20日土曜日の10時から18時まで、パドレ・マリアノ通り140番地の都市緑地で第2回の収穫祭を開き、季節の野菜と種の市と初心者向けの家庭菜園講座を組みました。これらのどれ一つとして法案の成立を待っていません。そして、どれ一つとして土地が変われば守られません。
限界
法案は地代にも借地期間にも触れていない。6か国のどこも触れていない
無いものを並べます。地代の上限がありません。最低の使用期間がありません。貸主からの解約を制限する規定がありません。そして農業を市街地の用途区分に加える規定もありません。登録簿は誰が耕しているかを記録しますが、何年耕せるかは記録しません。比較の基準は初日に置きました。ドイツの連邦小庭園法第5条は借地料を営利の果樹・野菜栽培における地域相場の4倍までに縛り、畑を都市の地価から切り離しています。1941年の法律6.815号は少なくとも第17条で譲渡・抵当・分割を禁じ、その禁止を登記させました。2025年の法案にこれに当たる条文はありません。
6か国を通して見ると同じ欠落が並びます。アルゼンチンのロサリオは1人およそ300平方メートルを無償の使用貸借で渡しますが、2008年から14年間その書類が来なかった区画がありました。ブラジルのPNAUには地代の上限も最低使用期間も無く、ベロオリゾンテが与えるのは行政が引き上げられる使用許可です。コロンビアは名簿と資材を渡し、土地は申請者が用意します。ペルーの枠組み条例1629号は空き地の利用を所有者との合意に委ね、送電線下の菜園は送電会社の許可の上に20年立っています。エクアドルは24年たっても使用許可のままで、2025年の条例が義務をかける相手は新規の住宅開発だけでした。チリが足すのは6番目の型です。かつて所有権を縛る条文を持っていた国が、いま提出している法案ではそこに触れていません。
反論も書いておきます。法案が土地に触れないのはむしろ賢明だ、という読み方があり得ます。所有権に踏み込む議員提出法案は通りません。定義と登録なら通る可能性があり、通れば次の改正の足場になる。この見方には力があります。ただしEUREの論文の指摘がそのまま答えになります。農業が6つの用途のどれにも入らないままである限り、登録された菜園も別の用途に分類された土地の上にある菜園のままです。名簿は畑を見えるようにします。動かせなくはしません。ラ・ピンタナの模範集落を80年守ったのが登記された分割禁止の取り決めだったことはこの点についての実例です。
振り返り
6か国が共通して手に入れていないのは畑を動かせなくする条文である
今日の道筋を並べ直します。出発点は1941年2月5日の法律6.815号で、住宅公庫の資金の30%を労働者菜園と家族菜園に充て、菜園の面積を5,000平方メートル以上、集団を20戸以上と定め、第17条で完済まで譲渡・抵当・分割を禁じてその禁止を登記させました。1942年、公庫はラ・ピンタナ農場を取得し、1937年結成のホセ・マサ協同組合のために半ヘクタールの区画500を用意します。第1期は1946年、続いて1950年と1957年。周囲は1979年から1985年に世帯数が327.73%増えました。2001年6月25日の省令75号が用途を6つに標準化し、農業専用の区域指定と最小区画面積という二つの直接的な保護方法が使えなくなります。そして2025年3月24日、上限500平方メートルの法案が提出され、いまも採決されていません。
今日の論点を三つ言い直します。第一に、チリの空白は法律の不在ではなく用途区分の不在です。2001年の省令75号の第2.1.24条が並べる住居・設備・生産活動・インフラ・公共空間・緑地の6つに農業は入りません。第二に、直接的な保護方法が消えた影響は面積に出ています。5事例の保護面積は1990年代に3,000ヘクタールを超えたあと縮み、ラ・ピンタナでは1989年と1994年の559ヘクタールが2018年に西側261ヘクタールだけになり、東側のラ・プラティナは住宅と業務の建設が可能になりました。第三に、いま耕されている場所は小さくなっています。1941年法の1区画5,000平方メートルに対し、2007年にラ・ピンタナで開いた市営菜園は敷地700平方メートル・11区画です。それでもサンティアゴ首都圏の学校菜園33か所には植物362種と無脊椎動物127形態種がいました。
わかっていないことと留保を書いておきます。第一に、法案の委員会付託を一次資料で確認できていません。下院のサイトに到達できず、確認できたのは公開データにある2025年3月24日の受理と、採決記録が一件も無いことまでです。付託先を住宅・都市開発・国有財産委員会とする記述は報道と当サイトの収録に依っています。第二に、法律6.815号の現在の効き目を確認できていません。「廃止されていない」という登録は条文が消されていないという意味であって、いま貸付が行われているという意味ではありません。第一条が名指しする住宅公庫は1953年に消えています。第三に、想定される反論があります。1941年法を「畑を守った法律」と読むのは結果からの遡及です。当時の目的は住宅供給と協同組合の育成であり、第16条は近隣に迷惑な振る舞いをした受益者を裁判の形式によらず排除できるとしていました。守る条文と縛る条文は同じ一本です。
最後に特集7本を総括します。初日に置いた順序——危機が先、自治体が次、国の法律は最後——は6か国で確かめられました。1990年8月3日のProHuertaから2024年7月29日のブラジルPNAUまで34年、その間を支えたのは市役所です。見えたのは順序だけではありません。ロサリオの畑は1987年からあり、崩壊が作ったのは土地と売り場を渡す事務手続きでした。ブラジルで最も効く装置は法律ではなく学校給食の調達です。コロンビアの菜園はヒップホップの集団から始まり、ボゴタの合意605号が作ったのは名簿でした。ペルーでは国の法律が畑ではなく共同鍋に来て、キトは所管を私法上の非営利法人に置いて5つの市政を越えました。そしてチリでは条文だけが85年残り、動かす機関が先に消えていました。通底しているのは一つです。6か国のどこにも地代の上限も最低の借地期間もありません。渡されているのは種と講習と資材と名簿と売り場で、土地ではありません。最後に一つだけ渡します。自分の関わっている畑について、三つを紙に書けるか確かめてください。その土地を誰が持っているか。何年使えるのか、その根拠は書面にあるか。収穫物を誰が買うのか。書けない行こそ、その畑がいちばん先に失うものです。
この記事の要点
- チリの都市計画に農業の用途区分は無い。2001年6月25日の省令75号が土地の使い道を住居・設備・生産活動・インフラ・公共空間・緑地の6つに標準化し、農業はそのどれにも入らない。
- 2001年に消えたのは自治体の迂回路である。農業専用の区域指定と最小区画面積という二つの直接的な方法が使えなくなり、5事例の保護面積は1990年代の3,000ヘクタール超から縮み続けた。
- 国の菜園法はいまも廃止されていない。1941年2月5日の法律6.815号は住宅公庫の資金の30%を労働者菜園に充てると定めているが、その公庫は1953年に消えた。
- 区画の寸法は下限から上限へ裏返った。1941年法は菜園を5,000平方メートル以上と定め、2025年の法案は都市菜園を最大500平方メートルと定めている。
- ラ・ピンタナの区画を80年守ったのは都市計画ではない。1937年結成のホセ・マサ協同組合が創設時に決めて登記した分割禁止の取り決めである。
- 法案は2025年3月24日から動いていない。下院の公開データに採決の記録は一件も無く、6人の議員が出した議員提出法案として受理されたところで止まっている。
- 6か国のどこにも地代の上限と借地期間の定めが無い。登録簿は誰が耕しているかを記録するが、何年耕せるかは記録しない。
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市政が5回替わっても畑は残った——エクアドル、キトのAGRUPAR
所管が市の部局ではなく私法上の非営利法人にあり、研修と種苗から売り場までを同じ組織が持っている
19 分国の法律が来たのは畑ではなく鍋だった——ペルー、リマの菜園と共同の台所
年間降水量15ミリ未満の都市で菜園を続けているのは市の条例と女性たちの地域組織である
17 分菜園を先に作ったのはラップの集団だった——コロンビア、メデジンとボゴタ
メデジンでは行方不明者の記憶から菜園が始まり、ボゴタでは市民が市より先に菜園を地図にした
18 分市役所が31年、国会が9年——ブラジルの都市農業はこうして法律になった
国の法律が引き受けたのは自治体と学校給食が先に作っていた買い手のいる回路だった
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