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菜園を先に作ったのはラップの集団だった——コロンビア、メデジンとボゴタ

メデジンでは行方不明者の記憶から菜園が始まり、ボゴタでは市民が市より先に菜園を地図にした

2026-09-12 · 18

特集 · 危機が先、法律はあと——南米6か国のアーバンファーム4 / 7

斜面に色の家が積み上がり、ペットボトルの苗を植える人々の壁画調のイラスト。壁の絵、登録簿、地図を映すスマートフォン。下の黒い帯に「紛争のあとの土」

2002年10月16日の午前0時、警察と軍のおよそ1,000人がメデジンのコムーナ13に入りました。オリオン作戦と呼ばれるこの動員は武力紛争のあいだにコロンビアの市街地で行われた軍事行動として最大のものだったとされます。作戦の前後に人が消えました。行方不明者を探す機関UBPDの見積もりでは、メデジンで消えた5,912人のうち502人が市の西にある瓦礫捨て場ラ・エスコンブレラに埋まっている可能性があります。この土を掘る三度目の作業は2024年7月末に始まり、同年12月18日から2025年9月25日までに七人が掘り出されました。同じ地区で住民は別のことも始めていました。ラップと栽培を一つの作業として扱う集団アグロアルテが墓地の壁にペットボトルの花壇を並べ、その一つひとつに殺された人と行方が分からない人の名前を書いています。コロンビアの都市菜園はこの土から始まりました。市のプログラムが来たのはそのあとです。

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3分でわかる本記事の内容

  • メデジンの菜園はヒップホップの集団から始まった。アグロアルテはコムーナ13のサン・ハビエル墓地の壁に花壇を並べ、殺された人と行方が分からない人の名前を一つずつ付けている。
  • 市のプログラムはあとから来た。メデジン市の「Huertas con Vos」は食料を配る援助から自分で作る機会への転換として説明され、3年で1,707か所という目標を掲げた。
  • 紛争は制度に登録条件として入っている。市の自給菜園事業が優先すると明記しているのは女性世帯主、強制移動の被害者、先住民の人たちである。
  • ボゴタの市議会合意605号(2015年9月11日)が作ったのは畑ではなく名簿だ。ムティス植物園が市内の作物と生産者のデータを収めた名簿を作成し管理すると定めている。
  • 菜園の地図を先に作ったのは市民である。学生たちのアグロエコボゴタが2014〜2016年に制度の支援なしで地図を作り、市のAUPAアプリが入ったのは2022年4月だった。
  • 本記事の立場は記憶と食料安全保障が同じプログラムに並ぶのが理念ではなく順序の結果だということである。草の根が先に両方を扱い、行政はその形のまま引き取った。

はじめに

メデジンで菜園を始めたのは市役所ではなく、消えた人を探している側だった

まず現場の年号を置きます。2002年10月16日の午前0時、警察と軍のおよそ1,000人がコムーナ13に入りました。オリオン作戦です。武力紛争のあいだにコロンビアの市街地で行われた軍事行動としては最大のものだったとされます。この前後に多くの人が行方不明になりました。行方不明者捜索の担当機関UBPDの見積もりでは、メデジンで消えた5,912人のうち502人が市の西の瓦礫捨て場ラ・エスコンブレラに埋まっている可能性があります。特別和平法廷(JEP)が2020年8月11日にこの土地へ保全措置を出し、三度目の発掘が2024年7月末に始まりました。2024年12月18日に二体分の骨が見つかり、2025年1月10日にさらに二体、同年9月25日に七人目が掘り出されています。2025年1月30日には、そのうち二人が2002年の強制失踪の被害者だと確認されました。

同じ地区で住民は土に別の記録を作っていました。アグロアルテ(AgroArte)はサン・ハビエルの墓地に温室を持ち、壁にペットボトルやプラスチック容器で作った花壇を並べています。花壇の一つひとつにはこの地区で殺された人か行方が分からない人の名前が付いています。「記憶の植物、領域に生きる緑の絵」と名づけられた取り組みです。セマナ誌によればこの集団を始めたのは七人の女性で、そのうち一人が亡くなったあとの2011年から、ラッパーで美術を修めたルイス・フェルナンド・アルバレス(エル・アカ)が中心を担ってきました。地区の若者が作った曲は300を超えます。墓地の壁が名簿の役を果たしてきた期間は短くありません。ラ・エスコンブレラの発掘が2024年で三度目だったことがその長さを示しています。

順序を先に確かめておきます。市のプログラムが動くのはこのあとです。メデジン市の菜園事業は2005年に始まったエコウエルタス・ウルバナスから続き、いまは「Huertas con Vos」と自給菜園事業が並んでいます。ボゴタで都市農業を制度にした市議会合意605号は2015年9月11日、その実務を担う植物園が研修を始めたのは2004年です。草の根が先に形を作り、行政が後から引き取りました。この順番はDay2で見たロサリオと同じですが、コロンビアで先にあったのは経済危機ではなく暴力でした。だから行政のプログラムの説明文に「食料安全保障」と「社会的な癒し」が並んで書かれています。理念として両方を掲げたのではなく、引き取った実践が最初から両方だったのです。

二つの都市

メデジンは記憶から、ボゴタは名簿から都市農業に入った

ボゴタから見ます。市議会合意605号(2015年9月11日)は都市・近郊アグロエコロジー農業のプログラムを制度化する指針を定めました。全体の調整役は市の環境局が持ち、技術支援と監視はホセ・セレスティーノ・ムティス植物園が担います。社会統合・経済開発・行政・保健の各局が支援に回ります。プログラムが対象にする栽培の場は三つに整理されています。住宅のテラス・中庭・集合住宅のバルコニー、公共機関と地域の都市空間、そして近郊の農民の畑です。植物園はこの合意より11年早い2004年から、市内で研修と技術支援を続けてきました。つまり条文が作ったのは新しい畑ではなく、すでに耕している人たちを市が把握する仕組みです。

メデジンは別の入口です。市の自給菜園事業を運営しているのは社会包摂・家族局の食料栄養安全保障チームで、登録は無料、優先されるのは女性世帯主と強制移動の被害者と先住民の人たちです。紛争はプログラムの題名にではなく、申込資格の一行として制度に入っています。農村部の区画は最低100平方メートルの耕作可能地が条件で、市街地では屋上・空き地・中庭が対象になります。配られるのは有機肥料・農業用石灰・種と、シャベル・鍬・移植ごてで、内容は菜園の種類によって変わります。事業の名前は「自給のための菜園(Huertas para el Autoconsumo)」で、売ることではなく自分たちで食べることを前提に置いています。渡しているのは道具と資材であって、耕す場所そのものではありません。

二つの都市に共通しているのは渡しているものが土地ではないことです。ボゴタが渡すのは研修と資材と名簿の上の位置、メデジンが渡すのはキットと技術支援です。どちらの制度もその畑が来年もそこにある保証は書いていません。ドイツの連邦小庭園法が借地料の上限で区画を土地の値段から切り離したのとは違い、コロンビアの条文に地代の話は出てきません。更新できる長期の借地権にあたる仕組みも二つの都市には見当たりません。だからこの記事では、条文の中身と同じ重さで現場の集団を見ます。以下、コムーナ13の二つの集団、市の二つのプログラム、そして誰が菜園を数えているかという順に進みます。

現場 メデジン①

アグロアルテが植えているのは野菜ではなく名前だ

アグロアルテが育てているものを並べると、この集団が何をしているかが分かります。ピーマン、とうもろこし、ひまわり、カリフラワー、レモングラス、ヘリコニア、バナナ、そしてグアヤカン。観賞用・薬用・香草に分類されていて、家族のカロリーをまかなうための作付けではありません。活動は三つの軸で説明されています。社会的なつながりの修復、世代をまたぐ交換、そして領域の取り戻しです。参加しているのは子どもから母親、祖母までのおよそ200〜300人で、中心を担う人が80人ほど、活動している市内の場所は22か所とされます。作業の場はサン・ハビエルの墓地とラ・アメリカ教区墓地の周辺です。都市農業の事例として紹介されるとき、この作付けの内訳はたいてい省かれます。

音楽との関係はエル・アカの言葉に出ています。「ヒップホップは通りのものだ。でも通りの下には土があって、その土には俺たちの歴史と記憶がある」。だから彼らはこれを「農のヒップホップ」と呼びます。曲を作ることと種を蒔くことが同じ作業として置かれ、墓地の壁に並ぶ花壇はそのまま名簿として読めます。参加者が土に半身を埋めて立つ「文法的な身体(Cuerpos Gramaticales)」という上演はコロンビア国内で16回、スペインで2回行われました。記録の技術も学びに行っています。クレアンタ財団の支援でエル・アカとカテリンの二人がバルセロナに2か月滞在し、カタルーニャの記憶運動を見て、バシュ・リョブレガット地方歴史文書館や「国境なき文書館員」から資料整理の訓練を受けました。植えることと歌うことと記録することが一つの動作になっています。

ここから分かることがあります。コロンビアの都市農業は食料の話として始まっていません。始まりは埋められた人を探すことと、その名前を消させないことでした。だから後から来た行政のプログラムが「食料安全保障」と「社会的な癒し」を同じ文に書いても、行政が両方を思いついたからではありません。すでに動いていた実践がその二つを分けていなかったからです。順序を逆に読むと、行政が包括的な政策を設計したように見えてしまいます。実際に起きたのは行政が既にある形をそのまま受け取ったことです。この違いは評価のときに効いてきます。政策として設計されたものなら設計者の意図で測れますが、引き取られた実践は元の目的で測らないと中身を取り違えます。

現場 メデジン②

屋上で水耕栽培をしている集団もまた同じ地区の音楽から出ている

コムーナ13にはもう一つ、屋上を使う取り組みがあります。テラサス・ベルデス(緑のテラス)です。率いているのはカルロス・アルベルト・サンチェス・モスケラ、通称ネネで、アフロ・コロンビアのヒップホップ・グループ「ソン・バタ」の共同創設者です。住宅の屋上に水耕栽培の棚を組み、土を使わずに野菜を育てます。始まりは一つの屋上の試験栽培でした。ある時点の報道では27の屋上・600平方メートル余りで、ヌエボス・コンキスタドーレス地区に90平方メートルの2区画が加わったところだと伝えられています。エル・コロンビアーノ紙の記事の時点ではコムーナ13の37の屋上が対象になり、うち12はエシト財団が支援しています。育てているのは丸葉・縮れ葉・紫・ロメインのレタス、緑と紫のバジル、フダンソウ、ケール、ヨーロッパ種の芯レタスです。

経済の作りがアグロアルテとは違います。テラサス・ベルデスの収穫は近隣で分けるのではなく、レストランとラウレレス地区のエシト店に売られます。参加しているのはコムーナ13の25人を超えるシングルマザーで、1日の作業は4時間を超えないように組まれ、世帯の月収になります。飲料大手ポストボンなどの企業が資材や販路の面で関わり、同じ形はボゴタのシウダー・ボリバル地区とカリのシロエ地区にも移されました。屋上を選んだ理由も明快です。斜面に住宅が密集した地区で住民が自分の裁量で使える平らな面は自分の屋根しかなく、世帯主の母親や移動に制約のある人でも自分の家の中で作業と販売ができます。ネネはこれを「夢を蒔いて機会を収穫する」と言い表しています。

同じ地区の同じ音楽の周辺から出た二つの集団が正反対の経済を選んでいます。アグロアルテは売らずに名前を植え、テラサス・ベルデスは高級スーパーに売ります。どちらも「都市農業」と呼ばれ、どちらもコムーナ13の暴力の記憶を出発点にしています。この二つを一つの尺度で採点すると、片方は生産量が低すぎ、もう片方は記憶を商品にしていると見えます。実際には、菜園でできることが二通りに分かれただけです。片方は失われた人を数え、もう片方は世帯の収入を数えます。行政のプログラムがどちらの尺度で成果を報告するかはこの分岐の上に置かれた選択です。そして報告される尺度に合わない活動は支援の対象から静かに外れていきます。

制度 メデジン

市が菜園に切り替えた理由は食料を配るのをやめるためだった

メデジン市の菜園プログラム「Huertas con Vos(きみと菜園を)」の説明で繰り返されるのは援助からの転換です。社会包摂・家族局長を務めたルイス・ベルナルド・ベレスは家族が自分で食べる分を作り、余った分を売って収入にできると説明しました。食料を配り続けるのではなく機会を作るという言い方です。前身にあたるエコウエルタス・ウルバナスは2005年に始まり、3,000人以上に届いたとされます。「Huertas con Vos」では3年で1,707か所という目標が掲げられ、2018年には新たに700か所——農村部250か所(うち学校・公共機関が50か所)と市街地450か所——を整える計画が示されました。市域の農村部と市街地を一つのプログラムで扱っている点はこの市の地形と行政区分に合わせた作りです。

この事業が実際に測っているものは報道に出た一人の数字によく表れています。市の北西部ドセ・デ・オクトゥブレ地区のマリア・ルセリー・リオスさん(58)は270平方メートルの菜園を他の4世帯と共同で使い、市場で使う金が月に5万ペソ浮くと話しています。彼女はもともとアンティオキア県ソンソンのいちじく卸の営業をしていました。プログラムが渡すのは種と道具と農学の技術支援で、栽培は「クリーン農業」として設計されます。にんにく、酢、重曹、ヘンルーダ、イラクサから作る生物由来の殺菌剤と殺虫剤を使い、化学合成の資材は使いません。記憶ではなく家計の節約額がこの事業の成果として言葉になっています。

一方、自給菜園事業のほうは登録の入口に紛争が書かれています。優先されるのは女性世帯主、強制移動の被害者、先住民の人たちです。ここで注意したい点があります。市が用意しているのは土地ではなく資格です。畑を置く場所は申請者が自分で持っているか借りていなければなりません。市が動かないところでは住民が自分でつないでいます。2013年にラ・アメリカ地区から始まったメデジン菜園者ネットワークは市の事業ではなく、種の交換や共同の調理を持ち回りで開く市民の集まりです。自分たちを「領域を自分のものにするための社会環境の戦略」と説明し、市民や社会運動が自律的に真似できる形だと述べています。活動の名前も「歴史を持つ種」「発芽する記憶」というもので、記憶という語はここでも消えていません。

制度 ボゴタ

合意605号が作ったのは畑ではなく、耕す人と作物の名簿である

ボゴタの市議会合意605号(2015年9月11日)を条文の割り当てから読みます。全体の調整は市の環境局が持ち、技術支援と監視はムティス植物園が担当します。社会統合局、経済開発局、行政局、保健局が支援に入ります。そして条文には次の一行があります。「ボゴタ植物園は市内の作物と生産者のデータを収めた名簿を作成し管理する」。この合意が掲げた目的は低い費用で持続的にプログラムを制度化することでした。市が新しく畑を作るとは書かれていません。実施の設計が具体化するのはさらにあとで、2021年10月13日に第三段階の参加型の作り込みが始まり、トゥンフエリート・ウスメ・シウダーボリバル・ボサ・ラファエル・ウリベの5地区が対象になりました。

合意が名指しした栽培方法は八つあります。垂直栽培、生物集約栽培、浮き根栽培、高床栽培、再生資源による栽培、家族農業、生物肥料、生物防除剤。並べてみると共通点が見えます。どれも自分のものではない面で作るための技術です。壁、屋上、中庭、借りている庭。土地を取得しなくても始められる方法だけが並び、その代わり借地の期間や地代についての規定はありません。Day1で触れたとおりドイツの条文が書いたのは面積と借地料でしたが、ボゴタの条文が書いたのは栽培の作法です。この違いは思想の違いではなく前提の違いから来ています。区画を割り当てられない都市では、割り当てなしで始められる技術を配るしかありません。

規模の数字は出どころによって違います。ボゴタ環境観測所(OAB)の記載では市内に2万人を超える都市農民と4,000を超える菜園があり、2020年以降に3,873の菜園が強化され、1万2,192人が技術支援を受け、7,561人が研修を受けました。都市・近郊の菜園から出る余剰は月におよそ1,778キログラムとされています。この最後の数字はボゴタの菜園が市場向けではないことを示します。そのまま2万人で割ると一人あたり月100グラムに届きません。数えている範囲が違う可能性はありますが、少なくともこれを市場向けの生産として読むのは無理があります。市が掲げた四つの目標のうち一つが販売と広報の戦略づくりだったことも裏返せば売れる量がまだ少ないことを示しています。

地図と数え方

菜園の地図を先に作ったのは市民で、市のアプリは8年遅れて来た

2014年から2016年にかけて、ボゴタとその周辺の都市農業の実践を地図に載せる「アグロエコボゴタ」という試みがありました。使ったのはケニア発のウシャヒディを基盤にしたクラウドマップで、agroecobogota.crowdmap.com に置かれました。動かしていたのはコロンビア国立大学と国立教育大学、それにドイツのゲッティンゲン大学とハンブルク大学の学生と院生です。この取り組みを記録した2017年の論文(キャレン・ビビアナ・ピニージャ・ゲレーロ)ははっきり書いています。このプラットフォームは制度側の直接の後ろ盾を持たず、アグロエコロジーに関心のある市民の参加に依存していた、と。合意605号の成立から1年前に始まり、市の実施体制が固まる前に終わっています。

市の側の道具が入るのは2022年4月です。都市・近郊アグロエコロジー農業の頭文字を取ったAUPAというモバイルアプリで、耕作者の特性把握、研修、技術支援の記録をその場で入力し更新できるようにするものだとされます。目標も数字で置かれました。2万の菜園を強化し、4万人に技術支援を行い、2万人にアグロエコロジーの研修を行い、そのうえで販売と広報の戦略を作る。2020年半ばから2022年2月までの実績は研修が1万4,266人、技術支援が3万1,926人、資材の提供先が1万1,970菜園と記録されています。市民の地図が終わってから6年後に、同じ対象を市の側が別の道具で数え直したことになります。

もう一つ、2021年10月2日に「ボゴタ・エス・ミ・ウエルタ」というプラットフォームが植物園とイベロアメリカ諸国機構(OEI)の協働で公開されました。こちらは市が記録する場所ではなく、耕している人が自分の経験や生活史を書き、フォーラムを開き、自分の商いを宣伝する場所です。三つの道具の持ち主が違う点に注意してください。市民の地図、市の入力アプリ、耕作者の発信の場。菜園の数が資料ごとに揺れる理由もここにあります。OABの4,000超、資材の提供先1万1,970、当サイトの収録では2004年以降に支えた菜園が2万5,022。どれも登記された区画ではなく、ある期間に支援した菜園を数えた数です。区画に番号が振られ借地契約が数えられるドイツの統計とは数えている対象そのものが違います。だから増減の比較にも使えません。

留保

「都市の土は汚れている」という反論はボゴタの測定では出てこなかった

都市で作物を育てる話には必ず土壌汚染の指摘がついてきます。ボゴタでは測られています。ルナ・アスール誌54号(2022年)に載ったダニエル・アンドレス・ベガ・カストロとリリ・タチアナ・ベガ・クラビホの調査は市内の都市菜園のレタスと土壌と灌漑用水について鉛・カドミウム・クロム・ニッケル・ヒ素・水銀を調べました。土壌とレタスで検出された金属はすべて国内外の基準の許容値を下回り、灌漑用水からは検出されませんでした。著者たちの結論は重金属の摂取という点で都市農業が消費者の健康に重大な化学的リスクをもたらすとは考えにくい、というものです。菜園の場所によって濃度に差はありました。

著者たちは同時に留保も書いています。水・土壌・農産物における微量元素の基準値そのものをまだ作る必要がある、と。基準が無ければ「下回った」という判定の土台が弱くなるからです。同じ著者が2016年に発表した調査では、幹線道路2本から500メートル以内に置かれたボゴタの菜園でフダンソウを収穫時に1割抽出し、原子吸光分光法(AOAC公定法968.08)で測って鉛は0 ppmでした。つまり「都市の畑は危ない」という一般論は少なくともボゴタの測定では支持されていません。ただし調べた地点は限られていて、市域全体の保証ではありません。合意605号のプログラムが近郊の農民の畑まで含む以上、市街地の結果をそのまま近郊に当てはめることもできません。

本当に保証されていないのは土地のほうです。ボゴタの合意605号は名簿を作りますが、名簿に載ったことが翌年の使用を守るわけではありません。メデジンの自給菜園事業は資材を配りますが、置く場所は申請者が用意します。テラサス・ベルデスの37の屋上は住宅の屋根なので、その家が売られれば畑も終わります。アグロアルテの花壇は墓地の壁にあります。四つとも市の制度が土地を確保して与えたものではありません。20年以上続いてきた実践の足元にあるのは条文ではなく住民の側の粘りです。だから制度の評価をするときは、条文が何を与えたかではなく、条文が無くても続いたものが何かを見たほうが正確になります。

振り返り

コロンビアで先にあったのは紛争であり、制度はそれを後から引き取った

辿った道筋を並べ直します。出発点は2002年10月16日のオリオン作戦で、UBPDの見積もりではメデジンで消えた5,912人のうち502人がラ・エスコンブレラに埋まっている可能性があります。三度目の発掘は2024年7月末に始まり、2024年12月18日から2025年9月25日までに七人が掘り出されました。同じ地区でアグロアルテが墓地の壁に名前つきの花壇を並べ、テラサス・ベルデスが37の屋上で水耕栽培を始めています。市のプログラムはそのあとです。2005年のエコウエルタス・ウルバナスに続いて「Huertas con Vos」が3年で1,707か所を掲げ、自給菜園事業が強制移動の被害者を優先対象に置きました。ボゴタでは2015年9月11日の合意605号が名簿を定め、市民の地図から8年遅れて2022年4月にAUPAアプリが入りました。

重要な論点を三つ言い直します。第一に、メデジンの菜園はヒップホップの集団から出ています。アグロアルテはエル・アカと七人の女性から始まり、200〜300人が参加し、地区の若者が300を超える曲を作りました。テラサス・ベルデスを率いるネネはソン・バタの共同創設者です。第二に、紛争は制度の題名にではなく登録条件として入りました。メデジン市の自給菜園事業が優先するのは女性世帯主、強制移動の被害者、先住民の人たちです。第三に、ボゴタの合意605号が作ったのは畑ではなく名簿でした。八つの栽培方法はどれも自分のものではない面で作るための技術で、借地の期間と地代についての規定はありません。三つとも土地を与えないまま何かを与える形になっています。

わかっていないことと留保を書いておきます。第一に、メデジンの1,707か所は目標として報じられた数字で、達成されたかどうかを本記事は確認できていません。当サイトの収録は達成として記録していますが、参照した記事の書き方は計画です。第二に、菜園の数は資料ごとに違います。OABの4,000超、資材の提供先1万1,970、当サイトの2万5,022。数えているのは区画ではなく支援した件数なので、そのまま足し合わせられません。第三に、テラサス・ベルデスの開始年は資料によって2018年前後と2021年前後で食い違い、屋上の数も27から37まで幅があります。想定される反論もあります。記憶と食料を同じプログラムで扱うことは行政が測りやすい家計の節約額に記憶の活動を吸収させる危険を持ちます。月5万ペソという数字だけが残れば、名前を植える作業は成果として数えられません。

特集の中での位置づけを書きます。Day1は6か国の年表を渡し、Day2はアルゼンチンのロサリオで経済崩壊から制度が生まれる形を、Day3はブラジルで自治体が31年続けて国がやっと追いつく形を見ました。今日のコロンビアが足したのは危機が経済ではなく暴力だった場合に何が変わるかです。変わったのは目的でした。土を耕す理由の一つが消えた人の名前を残すことになりました。明日のDay5はペルーのリマに移ります。ほとんど雨の降らない都市で、菜園は共同鍋(オヤ・コムン)という別の仕組みと結びつきました。危機の種類が変われば菜園が担う役割も変わります。その三つ目の型を見ることになります。

この記事の要点

  • メデジンの都市農業はヒップホップの集団から始まった。アグロアルテはコムーナ13の墓地の壁に花壇を並べ、殺された人と行方が分からない人の名前を一つずつ付けている。
  • 同じ地区の同じ音楽から正反対の経済が出た。テラサス・ベルデスは37の屋上で水耕栽培をし、収穫をレストランとスーパーに売っている。
  • 市のプログラムは援助の代わりとして設計された。メデジンの「Huertas con Vos」は3年で1,707か所を目標に掲げ、参加者は月5万ペソの節約を語った。
  • 紛争は制度に登録条件として入っている。市の自給菜園事業が優先するのは女性世帯主、強制移動の被害者、先住民の人たちである。
  • ボゴタの合意605号(2015年9月11日)が定めたのは名簿だ。植物園が市内の作物と生産者のデータを収めた名簿を作成し管理し、八つの栽培方法が示された。
  • 菜園の地図は市民が先に作った。学生たちのアグロエコボゴタが2014〜2016年にウシャヒディで地図を作り、市のAUPAアプリが来たのは2022年4月である。
  • 土地は保証されていない。名簿も資材も渡されるが置く場所は申請者が用意し、屋上は住宅の屋根なので家が売られれば畑も終わる。

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