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キューバのアーバンファーム事情——危機が育てた「必要からの農」

ソ連崩壊の欠乏から生まれたオルガノポニコと、都市が自らの野菜を作るという選択

2026-07-24 · 23

「必要は発明の母」ということわざを、これほど文字どおりに生きた国はそう多くありません。1991年のソ連崩壊は、輸入石油と化学肥料と農薬に支えられていたキューバの農業を、一夜にして立ち行かなくしました。食料もエネルギーも激減し、人々は空腹を抱えます。この「特別期間(Período especial)」の欠乏のなかから生まれたのが、コンクリートの枠に堆肥を詰めた高床の畑「オルガノポニコ(organopónico)」であり、ハバナをはじめとする都市が自らの手で野菜を育てるという営みでした。本レポートは、キューバの都市農を「危機からの発明」という一本の弧として読み解きます。石油が消えた島がどのように農薬なき農へ舵を切り、都市の空き地と堆肥と人手で食卓を支えたのか。そして、必要から始まったその農が、やがて一つの思想——アグロエコロジー——として語られるようになるまでを、到達可能な事実の範囲で慎重にたどります。制度で畑を守ったドイツ、体験へと育った日本、設計で狭さを解いたオランダと並べたとき、キューバは「欠乏こそが農を都市に呼び戻す」という、もう一つの答えを示します。

概況

欠乏の島で、都市が畑になった

キューバと聞いて多くの人が思い浮かべるのは、葉巻やクラシックカー、あるいはカリブの音楽でしょう。しかし世界の都市農業の歴史を語るとき、この島国は避けて通れない位置にあります。首都ハバナでは、市内で消費される生鮮野菜のかなりの部分——一説には約9割——が、市とその周辺の都市農園や菜園から供給されているとされます。地平線まで続く大農場ではなく、街のなかの空き地やコンクリート枠の畑が、都市の食卓を実際に支えているのです。これは世界的にもまれな水準で、しかも意図された農業政策の産物というより、ある歴史的な危機から生まれ落ちた必然でした。

その危機とは、1991年のソ連崩壊です。当時のキューバは、貿易も燃料も食料も、そのほとんどをソ連圏に依存していました。石油が来なくなり、化学肥料も農薬もトラクターの部品も途絶えたとき、石油漬けの近代農業は一気に機能を失います。国内総生産は数年で3割以上縮み、農業生産はおよそ半分にまで落ち込んだとされます。人々は空腹のなかで、使えるあらゆる空間——バルコニー、屋上、空き地、中庭——を畑に変えていきました。本レポートは、この「必要からの農」がどのように立ち上がり、やがて農薬なきアグロエコロジーとして語られるまでになったのかを追います。

はじまり

1991年、石油が消えた

キューバの都市農を理解する鍵は、「特別期間(Período especial en tiempos de paz=平時における特別期間)」と呼ばれる時代にあります。ソ連は長らく、キューバの砂糖を国際価格を大きく上回る値で買い取り、見返りに石油や食料、機械を供給していました。その関係が1991年に消滅すると、島は突然、自力で食べていかねばならなくなります。石油の輸入は最盛期の1割程度にまで落ち込み、貿易は8割以上縮んだとされます。カロリー摂取量も大きく減り、多くの家庭が日々の食に苦しみました。

この欠乏こそが、都市農の産みの親でした。化学肥料も農薬も燃料も買えない以上、農は「石油を使わないやり方」へ組み替えるしかありません。遠くの大農場から都市へ運ぶ燃料もないなら、食べる場所の近くで作るしかない。こうして農は都市へと引き寄せられ、堆肥と手作業と生物の力に頼る形へと姿を変えていきます。1993年ごろにはオーストラリアのパーマカルチャー専門家が招かれ、持続可能な技術の普及を助けたとも伝えられます。以降の各章では、この転換の中身——オルガノポニコという発明、アグロエコロジーへの舵取り、そして制度がそれを追いかけた過程——を順に見ていきます。

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