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インドネシアのアーバンファーム事情 ── カンプンの土と、つながりで耕す都市

歴史と文化のレンズで読む、ホームガーデンと相互扶助の伝統がいま都市で立ち上がる理由

2026-06-23 · 14

インドネシアの都市農業を理解するには、まず「カンプン(kampung)」という言葉から始めるのがよい。都市のなかに残る密集した住区を指すこの語は、単なる地理ではなく、相互扶助と分かち合いの社会そのものを意味してきた。屋敷地を耕すホームガーデンの伝統、路地に持ち寄られる手と苗。この国の都市農は、制度が先に設計したものではなく、まずカンプンの土と人のつながりから芽吹いた。本稿はその時間軸をたどる。

概況

制度より先に芽吹いた、市民発の緑

インドネシアの都市農業は、しばしば「2010年のツイッターの一言から始まった」と語られる。建築家リドワン・カミル(Ridwan Kamil)が呼びかけたコミュニティ菜園運動「インドネシア・ブルクブン(Indonesia Berkebun)」は、確かに現代の都市農ブームの象徴的な起点だ。だがそれは火種であって、薪ではない。薪のほうは、もっと古くから積み上げられていた。屋敷地で野菜や果樹を育てる「プカランガン(pekarangan)」のホームガーデンと、近隣総出で助け合う「ゴトン・ロヨン(gotong royong)」の相互扶助。現代の運動は無からの発明ではなく、この国の生活文化に長く眠っていた火種に、SNSという風が吹いた出来事として読むほうが正確だろう。

本稿が立つ視座は、歴史と文化である。なぜインドネシアの都市農は「カンプン」や「住民総出」と強く結びつくのか。なぜ路地(ロロン、ガン)そのものが菜園の舞台になるのか。なぜ市民が始めた運動を、のちに自治体や中央政府が制度で追いかける順序になったのか。これらの問いは、一足飛びの政策説明では答えられない。屋敷地農の長い記憶、相互扶助の社会規範、急速な都市化と環境課題、そして地方分権という統治の枠組み──こうした重層的な背景を順に解きほぐすことで、現在の風景が初めて像を結ぶ。

結論を先取りすれば、インドネシアの都市農業は「上からの設計」よりも「下からの自生」を出発点とし、食料安全保障・コミュニティの再生・環境改善という複数の価値を束ねる装置として育ってきた。生産量だけで測れるものではなく、近隣の結束や子どもの学び、洪水や廃棄物といった都市問題への応答までを内に含む。この性格づけ自体が、ホームガーデンと相互扶助という、この国が長く培ってきた文化の産物である。以下、その来歴を時間軸に沿って読み解いていく。

入口の数字

数字と特徴で見る、インドネシアの輪郭

当データベースには、現在のところインドネシアの事例が約8件収録されている。内訳を見ると、首都ジャカルタに複数の事例が集まりつつ、西ジャワのバンドン、東ジャワのスラバヤとマラン、中部ジャワのジョグジャカルタ、そしてスラウェシのマカッサルまで、ジャワ島の主要都市を超えて広がる。全国運動、自治体主導の統合プログラム、路地単位の住民菜園、子ども向けの公共空間まで、担い手と空間の幅広さが、まずこの国の特徴を物語っている。単一の型に収まらないこと自体が、市民発の動きと行政の制度が各地で別々に育った結果である。

年代に目を向けると、事例は2005年から2021年まで幅広く分布する。最も古い系譜は2005年頃に芽生えたジョグジャカルタの「野菜の村」にさかのぼり、2010〜2011年の全国運動、2012年のマランの環境カンプン、2014年のマカッサルの路地菜園、そして2020年前後にはコロナ禍を背景にバンドンやジャカルタで食料安全保障を掲げた取り組みが立ち上がる。この時間的な広がりは、ひとつの政策の波というより、文化的な素地のうえに異なる契機が重なって積み上がってきたことを示している。詳しい来歴は本編「歴史・背景」で掘り下げる。

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