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オランダのアーバンファーム事情——狭い国土が生んだ「設計としての農」

フォルクスタインの区画から屋上農園まで。土地の希少さを工夫に変える都市農

2026-07-21 · 21

オランダは、国土の多くを干拓で得た小さな平らな国でありながら、金額ベースでは世界有数の農産物輸出国として知られます。土地が乏しく、水が近く、人口が密集する——この条件は、農業を「広さ」ではなく「工夫」で解く文化を育てました。本レポートは、オランダの都市農を、19世紀に生まれた市民の菜園「フォルクスタイン(volkstuin)」という長い土台の上に置きながら、学校菜園(schooltuinen)、子ども農園(kinderboerderij)、そして近年の「都市農業(stadslandbouw)」運動や屋上農園まで、現場の実例を通して読み解きます。制度の重さで畑を守ったドイツ、体験を売る方向に育った日本と並べたとき、オランダの都市農は「限られた場所をいかに設計し直すか」という第三の答えを示します。狭さを言い訳にしない国の、農と都市の付き合い方をたどります。

概況

世界有数の農業国の、もう一つの農

オランダと聞いて多くの人が思い浮かべるのは、地平線まで続く温室群や、精密に制御された園芸ハウス、あるいはワーヘニンゲンに集まる農学の研究者たちでしょう。国土はおおむね九州ほどの広さで、しかもその相当部分を海や湖から干拓して得たにもかかわらず、オランダは金額ベースで世界有数の農産物輸出国とされます。これは「広い土地で大量に作る」農業とは異なる、集約と技術による農のかたちです。土地が高価で乏しいという制約こそが、この国の農を「効率」と「設計」の方向へ押し進めてきました。

しかし本レポートが見るのは、その輸出産業としての農業ではなく、都市に暮らす市民が土に触れる「もう一つの農」です。実はオランダには、19世紀に始まった市民の菜園の伝統が根強く残っています。全国におよそ24万区画あるとされる「フォルクスタイン(volkstuin=民衆の庭)」がその中心です。加えて、100年の歴史をもつ学校菜園、街なかの子ども農園、そして2000年代以降に広がった「都市農業(stadslandbouw)」の実験群。狭い国土で市民がどう畑と付き合ってきたか——その積み重ねを、歴史の土台と現場の事例の両面からたどっていきます。

はじまり

1838年の畑と、1928年の連合

オランダで最初の市民向け菜園が生まれたのは1838年とされます。19世紀を通じて、各地の自治体が労働者の家族のために区画を用意しました。工業化と都市化のなかで、狭い借家に暮らす人々に、新鮮な野菜と屋外の居場所を与えるためです。この動機は、同時代のドイツのクラインガルテンともよく似ています。ヨーロッパの工業都市は、押し寄せる貧困と過密への処方箋として、しばしば「小さな畑」を選んだのでした。

第一次世界大戦のころ、区画の利用者たちは「畑は借り手自身の手で運営すべきだ」と声を上げるようになります。そして1928年、各地の菜園協会が集まって全国組織「オランダ・フォルクスタイン協会連合(AVVN)」を設立しました。ここから先では、この市民の菜園がどのように余暇の場へと姿を変え、学校や子どもへとひらかれ、やがて屋上や街区へと飛び出していったのかを、実際の場所をたどりながら見ていきます。

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