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イタリアのアーバンファーム事情——市が持つ59のカシーナと、数え上げられた41枚の草地

線を引くだけでは足りない。ミラノに残る約100のカシーナのうち59は市有財産であり、18はすでに廃墟である

2026-08-03 · 19

特集 · 南欧という乾いた都市2 / 3

前回(『乾いた都市で耕す——南欧は農地を「所有せずに」留めてきた』)で見たのは、行政が土地を買わずに区域の線引きだけで農地を農地のまま留める、という南欧の技法でした。ミラノ南農業公園はその代表例です。しかし線の内側に立ってみると、そこにあるのはヘクタールという抽象的な数字ではありません。名前のついた建物と、名前のついた水路と、名前のついた草地です。ミラノに残るカシーナ(中庭を囲む農家屋敷)は約100。そのうち59は市有財産、つまりミラノ市は農地の用途を決める規制者であると同時に、農場そのものの地主でもあります。そして同じ約100のうち18はすでに廃墟です。イタリアが引き受けたのは線ではなく目録であり、目録は具体的である代わりに、維持費という形で必ず請求書を出してきます。本記事はミラノを軸に、所有すること・貸すこと・維持することの三つがどう噛み合い、どこで噛み合わなくなるのかを辿ります。

3分でわかる本記事の内容

  • ミラノに残るカシーナ(農家屋敷)は約100。うち59が市有財産であり、市は用途を決める規制者であると同時に、農場そのものの地主でもある。
  • 所有は保全を保証しない。同じ約100のうち18はすでに廃墟であり、農場として稼働しているのは13にすぎない。
  • その13は「ミラノの慣行」で小作人に貸されている。バローナ地区のバッティヴァッコとバスメットは市域内で稲を、カンパッツォとノゼードは牛乳を作る。
  • 地主は市だけではない。オスペダーレ・マッジョーレ(病院)、公営住宅公社アレル、教区、不動産会社が農地を分け持ち、そのことが調整を難しくしている。
  • 南農業公園が守るのは面積だけではない。湧水で灌漑する草地マルチータを41枚、個体として数え上げたうえで保護している。
  • 本記事の立場——イタリアの都市農保全は線引きではなく目録である。その強みは具体性にあり、その弱点は維持費という形で必ず請求される。

はじめに

線の内側には、名前のついた物が建っている

都市の農地保全を語るとき、私たちはつい面積で考えます。何ヘクタールを守ったか、何%が農地のまま残ったか。前回見たミラノ南農業公園の約46,300ヘクタールという数字も、そういう語り方をされることが多いものです。しかしその線の内側に実際に立ってみると、風景は面積では説明できません。そこにあるのは、中庭を四角く囲んだ煉瓦の農家屋敷であり、地下水が自然に湧き出す水源であり、冬でも緑を保つよう設計された草地です。どれも個体で、どれも名前を持っています。イタリアの都市農を理解するうえで決定的なのは、この国の保全が最初から「面積」ではなく「物」を対象にしてきた、という点です。

その最もはっきりした現れが、ミラノのカシーナです。イタリア語版ウィキペディアの整理によれば、今日のミラノに生き残っているカシーナは「un centinaio」——およそ100。そして「cinquantanove delle quali fanno parte del demanio comunale」、すなわちそのうち59は市の公有財産に属します。ここでミラノ市が担っている役割は二重です。都市計画を通じて農地の用途を決める規制者であると同時に、農場の建物そのものを持つ地主でもある。前回の記事が描いた「買わずに留める」という南欧の技法は、ミラノに関するかぎり、話の半分でしかありませんでした。

視点

所有はコストである——18の廃墟が示すもの

所有していれば守れる、というのは直感的ですが、正確ではありません。同じ資料は続けて、約100のカシーナのうち「diciotto sono diroccate」——18は崩れ落ちている、と記します。守る意思のある公的主体が所有していてなお、5棟に1棟近くが廃墟になっている。これは怠慢というより、所有という手段そのものの性質です。線引きは一度決めれば維持費がほとんどかからないのに対し、建物の所有は毎年の支出を伴います。屋根、梁、排水、そして歴史的建造物であれば修復の作法まで。目録方式の強みである具体性は、そのまま費用の具体性でもあります。

以下では、まずカシーナという建築がなぜ都市の内側に残ったのかを辿り、そのうち13棟がいまも小作人によって耕され続けている事実を見ます。次に地主が市だけではないこと——病院と公営住宅公社と教区が農地を分け持っていること——を確認し、南農業公園が41枚のマルチータを「数え上げて」保護している事例で、目録方式の最も洗練された形を見ます。最後に、この方式の失敗が更地ではなく廃墟という形をとることの意味を考えます。

装置

カシーナとは何か——農場であり、集落であり、建築である

カシーナは、ポー平野に固有の農家屋敷の形式です。母屋・家畜小屋・納屋・作業場、しばしば労働者の住居と礼拝堂までを、中庭を囲むように矩形に配置します。ひとつのカシーナは一戸の農家ではなく、小さな集落に近い。この形式が成立したのは、この地域の農業が水の管理と家畜と穀作を組み合わせた集約的なものであり、多くの人手と多くの建物を一箇所に集める必要があったからです。ミラノで最も古いカシーナとされるのはキエーザ・ロッサで、イタリア語版ウィキペディアは「risale al X secolo」——10世紀に遡ると記しています。都市がまだ城壁の内側に収まっていた時代から、これらは平野に建っていました。

では、なぜ平野の農家屋敷が「ミラノ市内」にあるのか。答えは農業ではなく行政区画の歴史にあります。ミラノは周辺の独立した自治体を段階的に併合してきました。同資料は1923年の例を挙げ、「Nel 1923, anche il comune di Baggio, ultimo Sindaco Cesare Stovani, fu soppresso e annesso alla città di Milano」——バッジョ市はこの年に廃止されミラノに併合された、と記します。ランブラーテについても同年の同じ記述があります。つまりカシーナが都市に入ってきたのではなく、都市の境界がカシーナを越えて広がったのです。この順序は重要です。イタリアの都市農地の多くは、都市計画が新たに作り出した緑ではなく、行政境界の拡大によって都市の内側に取り残された農業です。

この経緯は、イタリアの都市農が抱える性格を決めています。都市が後から囲い込んだ農業は、都市の論理に合わせて設計されていません。区画の大きさも、建物の配置も、水路の向きも、周囲が畑だった時代の合理性に従っています。それを都市の内側で維持しようとすれば、必然的に「合わないものを合わせる」作業になります。市が地主として引き受けたのは、土地だけでなく、この不整合そのものでもありました。

借り手

13の農場は、いまも「ミラノの慣行」で借りられている

約100のカシーナのうち、現に農業が行われているのは何棟か。イタリア語版ウィキペディアの記述はきわめて具体的です。「Tredici, però, in piena area urbana, sono ancora condotte da fittavoli, secondo l'uso milanese, come aziende agricole in attività」——13棟は、まったくの市街地のただ中で、いまも小作人(fittavoli)によって、ミラノの慣行に従い、稼働中の農業経営として営まれている。ここで注目すべきは「secondo l'uso milanese(ミラノの慣行に従って)」という一句です。所有は市にあり、経営は借り手にある。土地を持つ主体と耕す主体を分離したまま、慣習的な貸借関係で農業を継続させる——これは前回見た「所有せずに留める」の裏返しであり、「所有したまま、耕さずに留める」やり方だと言えます。

作られているものも具体的です。同資料は「la cascina Battivacco alla Barona (riso), la cascina Basmetto alla Barona (riso), la cascina Campazzo (latte) e la cascina Nosedo (latte e derivati)」と列挙します。バローナ地区のバッティヴァッコとバスメットは稲。カンパッツォは牛乳、ノゼードは牛乳と乳製品。人口130万を超える都市の行政区域の内側で、水を張った田んぼが維持され、乳牛が飼われているということです。稲作が残っている理由は、この地域の水利にあります。ポー平野の灌漑体系は米作を前提に何世紀もかけて整えられてきたもので、水路と圃場の形はそれに最適化されています。前回、南欧の都市農を最初に縛るのは水だと述べましたが、ロンバルディアではその制約の向きが逆です。水は足りないのではなく、豊富にありすぎるほどで、農業の形をそちらが決めてきました。

13という数字は、多いとも少ないとも読めます。約100のうち13ですから、比率としては小さい。しかし都市の中心部から数キロの土地で商業的な稲作と酪農が成立していること自体が、ヨーロッパの大都市としては例外的です。重要なのは、この13が偶然の生き残りではなく、貸借という制度によって支えられている点です。制度が続くかぎり13は続き、制度が切れれば——借り手が見つからなければ——13は減ります。目録方式が守っているのは建物であると同時に、その建物を使う関係でもあります。

所有者

地主は市だけではない——病院と公営住宅公社と教会

59が市有だとすれば、残りの40棟余りは誰のものか。イタリア語版ウィキペディアはこう記します。「Gli altri proprietari sono l'Ospedale Maggiore, l'Aler (ex Istituto Autonomo Case Popolari), la curia」。すなわちオスペダーレ・マッジョーレ(ミラノの主要病院)、公営住宅公社アレル(旧・自治住宅公社)、そして教区の司教庁。これに民間の不動産会社が加わります。都市の農地が、病院と、公営住宅の運営主体と、カトリック教会と、不動産会社に分かれて所有されている。日本の読者には奇妙に映るかもしれませんが、これはヨーロッパの都市に共通する歴史の痕跡です。

病院や修道会が広大な農地を持つのは、中世以来、慈善institutionへの土地の寄進と遺贈が長期にわたって積み重なった結果です。病院は寄進された農地からの収入で貧者の治療を賄い、その農地は病院の資産として世代を越えて保持されました。近代に入って医療の財源が保険や税に移った後も、土地だけが残ります。公営住宅公社が農地を持つのも似た構造で、住宅建設のために取得した用地のうち、実際には建てられなかった部分が農地のまま帳簿に残る。つまりこれらの農地は、農業のために保持されてきたのではなく、別の目的のために取得され、目的が消えた後も処分されずに残ったものです。

この所有の分散は、保全にとって両義的です。一方では強みになります。所有者が多様であれば、ひとつの財政危機や政権交代でまとめて売却される危険は小さい。他方では明確な弱点です。ひとつの農業景観を維持するために、市と病院と公社と教区と複数の不動産会社の意思を揃えなければならない。前回見た農業公園という装置が有効なのは、まさにこの点です。線引きは所有者が誰であっても同じように効く。所有をめぐる交渉を経ずに、区域全体の用途を一括して固定できる。イタリアは目録と線引きの両方を持っていますが、両者が担っている仕事は違います。線は分散した所有をまたいで用途を揃え、目録は個々の物を名指しで守ります。

41枚のマルチータ——量ではなく温度を使う灌漑

目録方式が最も洗練された形で現れるのが、マルチータの保護です。マルチータはポー平野に固有の灌漑草地で、フォンタニーレと呼ばれる湧水を冬のあいだも絶えず薄く流し続けることで、土壌の凍結を防ぎ、草を育て続ける仕組みです。鍵になるのは水の量ではなく温度です。イタリア語版ウィキペディアによれば、フォンタニーリの水は「冬に9℃、夏に14℃」のあいだのほぼ一定の温度で流れ出します。地下水は外気ほど季節変動しないため、冬には周囲より暖かい。その暖かい水を薄く流し続けることで、雪の降る平野に緑の草地を作り出す——熱を運ぶ媒体として水を使う技術です。

効果は収量として現れます。同資料は、この方式で年に「少なくとも7回、しばしば9回」の刈り取りが可能だと記します。比較対象として挙げられているのは、最良の常設草地でも年4〜5回。倍近い差です。都市近郊で家畜を飼うには大量の飼料が要り、その飼料を年に9回刈れる草地が支えていた。ミラノ周辺で酪農が成立してきた理由の一端がここにあります。発明者は不明とされますが、北イタリアへの普及にはフランス由来のシトー会修道士が大きく寄与したと一般に考えられています。中世の修道院が持っていた土木と農学の蓄積が、都市の食料供給の土台を作ったわけです。

そして保護のされ方が、この記事の主題そのものです。ミラノ南農業公園について、イタリア語版ウィキペディアはこう記します。「Nel parco sono state contate 41 marcite (punti dove i campi agricoli vengono irrigati con l'acqua delle fonti nel terreno), messe sotto protezione」——公園内では41枚のマルチータが数え上げられ、保護下に置かれた。「数え上げられた(sono state contate)」という受動態が重要です。何ヘクタールを守る、ではなく、41という個体数を確定させてから守る。同じ資料はマルチータが20世紀に工業的なトウモロコシ栽培に押されて放棄され、今日ますます稀になっていると記しています。減り続けるものを守るには、まずそれが何枚あるのかを知らなければならない——目録方式の論理はここに尽きています。

この水利がいかに細かく地形に結びついているかは、個別の記述からも窺えます。カシーナの資料には「La ruota a pale del Mulino Dorino era mossa dalle acque del fontanile Cagnola, che confluisce nel fiume Olona a Pero」——ドリーノ製粉所の水車はカニョーラ湧水の水で回されており、その水はペーロでオローナ川に合流する、とあります。湧水、水車、河川、そして地名。この解像度で記述される対象を守るということは、面積の目標を掲げることとはまったく別の作業です。

失敗の形

保全の失敗は、更地ではなく廃墟として現れる

目録方式の代償に戻ります。約100のうち18が「diroccate(崩れ落ちた)」という数字は、この方式の失敗率を率直に示しています。しかし失敗の「形」に注意する価値があります。米国の都市で農地保全が失敗するとき、典型的には土地が売られ、更地になり、開発が入ります。ミラノでは違います。建物は残り、屋根が落ち、壁が立ったまま朽ちていく。この差は所有形態から来ています。公有財産は簡単には売却できず、歴史的価値のある建造物には解体の制約がかかる。結果として、売ることも壊すことも直すこともできない状態が長く続きます。

この状態は、単純に悪いとも言い切れません。廃墟は更地よりも復旧の可能性を残します。壁が立っていれば、資金が付いたときに修復できる。実際、ミラノのカシーナのうち相当数は、図書館、余暇施設、高齢者・障害者・依存症者のためのケア施設、居住施設として再利用されています。農業以外の用途を受け入れることで建物が生き延び、いずれ農業が戻る余地を残す——「間に合わせの利用(meanwhile use)」の長期版と見ることもできます。ただし、これは楽観の根拠にはなりません。18という数字は、その復旧がまだ来ていない棟の数だからです。

ここから引き出せる実務的な含意は、日本の都市農地にも通じます。農地や関連施設を公有化すれば守れる、という発想は、取得の費用だけを見て維持の費用を見ていないことが多い。ミラノの59対18という比率は、公有化が保全の終点ではなく起点であることを、かなり厳しい形で示しています。所有は、守る力ではなく、守り続ける義務を手に入れることです。

もう一つの道

北のもう一つの答え——飛行機工場を森にした640ヘクタール

ミラノには、残ったものを守るのとは逆方向の実例もあります。市の北側に広がるパルコ・ノルド・ミラノです。イタリア語版ウィキペディアによれば面積は640ヘクタール、ミラノ、ブレッソ、クザーノ・ミラニーノ、コルマーノ、チニゼッロ・バルサモ、ノヴァーテ・ミラネーゼ、セスト・サン・ジョヴァンニの7つの自治体にまたがります。重要なのはその出自です。同資料は「realizzato inizialmente sulle aree dismesse, subito dopo la seconda guerra mondiale, della Breda Aeronautica」——第二次大戦直後に廃止されたブレダ航空機の用地の上に、当初は作られた、と記します。つまりここは元々農地でも緑地でもなく、航空機工場でした。

緑は自然に戻ってきたのではなく、作られました。同資料は「I primi interventi di rimboschimento furono avviati a partire dal 1983」——最初の植林事業は1983年から着手されたと記し、ロンバルディア州森林公社の事業として、パオロ・ラッシーニの指揮のもとで実施されたとしています。州の公的機関が、数十年をかけて工場跡地に森を植えた。ロンバルディア州が地域公園として認定したのは1975年で、植林が始まったのはその8年後です。制度が先にでき、実体が後から追いついた形です。

南の農業公園と北のこの公園を並べると、イタリアが持っている手札の幅が見えます。南では、既にある農業を線で囲って残した。北では、失われた土地に緑を作り直した。前者は安価で速いが、対象がすでに存在していなければ使えない。後者はどんな土地にも適用できるが、数十年と公的資金を要する。どちらを選ぶかは、その土地に何が残っているかで決まります。そして残っているものを数えるのが——約100のカシーナ、59の市有、18の廃墟、13の稼働農場、41枚のマルチータ——目録の仕事です。

振り返り

所有と維持——イタリアが引き受けた重さ

この記事が辿った道筋を再構成します。出発点は、前回の『乾いた都市で耕す』が示した「買わずに留める」という南欧の技法でした。本記事はその線の内側に入り、そこにあるのが面積ではなく個体であることを確認しました。まずカシーナという建築形式を、10世紀のキエーザ・ロッサから1923年のバッジョ併合まで辿り、都市がカシーナを飲み込んだ順序を確かめました。次に13の稼働農場を見て、市有の土地を小作人が「ミラノの慣行」で耕す関係を確認しました。続いて所有者が市・病院・公営住宅公社・教区・不動産会社に分散していることを見て、線引きという装置が所有の分散をまたぐために有効であることを説明しました。そこから41枚のマルチータへ進み、最後に18の廃墟と、パルコ・ノルドという「作られた緑」の対極を置きました。

最も重要な論点を三つ、名指しで言い直します。第一に、ミラノ市は農地の規制者であると同時に地主です。残存する約100のカシーナのうち59が市有財産に属し、この二重の立場がイタリアの特徴を作っています。第二に、所有は保全を保証しません。同じ約100のうち18が廃墟であり、農場として稼働しているのは13にすぎない——59対18という比率が、公有化は保全の起点であって終点ではないことを示しています。第三に、イタリアの保全は目録として実装されています。ミラノ南農業公園が41枚のマルチータを「数え上げたうえで」保護しているのがその典型で、湧水の水温が冬9℃・夏14℃でほぼ一定であるために年7〜9回の刈り取りが可能になるという、通常の草地の4〜5回を大きく上回る技術がそこで守られています。

わかっていないこと、留保しておくべきことを書きます。本記事が用いた数値は、主にイタリア語版ウィキペディアが整理した記述に依拠しています。約100・59・18・13・41といった数字は百科事典的な集計であって、自治体による公式の悉皆調査の結果ではありません。基準時点も明示されていないため、現在の実数はこれと異なりうると考えるべきです。また、本来ならイタリアの都市菜園(orti urbani)の全国統計——ISTAT が県都を対象に行っている環境統計調査——を参照したいところでしたが、今回の実行環境からは同機関のサイトに到達できず、確認できませんでした。したがって本記事は、市民に配分される区画(オルティ)の全国的な規模については何も主張していません。想定される反論としては、「ミラノは例外的であり、イタリア全体の姿ではない」というものが最も強いはずです。実際、ミラノの事例をイタリア全土に一般化することはできません。ここで示せたのは、ロンバルディアという特定の水利環境と、特定の併合史を持つ都市における一つの型です。

特集のなかでの位置づけと、次回への橋渡しです。3日間の橋渡し特集の初日は、南欧が農地を「所有せずに」留めてきたことを示しました。本日はミラノを通じて、その裏側で市が実際に所有し、貸し、そして維持に失敗もしていることを見ました。所有と非所有は対立する戦略ではなく、同じ都市のなかで役割を分けて使われています。明日の最終回はスペインを訪ねます。イタリアが所有と目録で問題に答えたのに対し、スペインでは2008年以降の経済危機が別の圧力をかけ、水の配分という制約がより厳しい形で現れます。乾いた土地で、危機が耕した都市はどこへ向かったのか——特集の締めくくりとして辿ります。

この記事の要点

  • ミラノは農地の規制者であると同時に地主である。残存する約100のカシーナのうち59が市有財産に属する。線引きと所有という二つの手段を同じ都市が併用している。
  • 所有は保全を保証しない。同じ約100のうち18は廃墟であり、稼働中の農場は13にすぎない。公有化は保全の起点であって終点ではない。
  • 13の農場は「ミラノの慣行」で小作人に貸されている。守られているのは建物だけでなく、その建物を使い続ける貸借関係そのものである。
  • 農地の所有者は市だけではない。病院・公営住宅公社・教区・不動産会社に分散しており、この分散が売却リスクを下げる一方で調整を難しくしている。
  • イタリアの保全は面積ではなく目録として実装される。南農業公園は41枚のマルチータを数え上げたうえで保護しており、守る前に個体数を確定させている。
  • マルチータが守る価値は水量ではなく水温にある。湧水は冬9℃・夏14℃でほぼ一定で、この恒常性が年7〜9回の刈り取りを可能にする(通常の草地は4〜5回)。
  • 残っていない土地には別の手段が要る。パルコ・ノルド・ミラノの640ヘクタールは航空機工場の跡地で、1975年の公園認定から8年後の1983年に植林が始まった。

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