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ドイツのアーバンファーム事情——シュレーバーの庭から続く150年

貧者の畑から余暇へ、そして市民の生態学へ。歴史と文化で読み解くドイツの都市農

2026-06-30 · 16

ドイツの都市を歩くと、線路際や住宅地の縁に、生け垣で仕切られた小さな庭の群れが現れます。クラインガルテン、あるいはシュレーバーガルテンと呼ばれるこの区画群は、19世紀の工業都市が生んだ「貧者のための畑」を起源に、150年を超えて生き延びてきた、世界でも稀な都市農の制度です。本レポートは、ドイツのアーバンファームを「いま」の風景としてだけでなく、1860年代ライプツィヒのシュレーバー運動から、二度の世界大戦と飢え、東西分断、1983年の連邦小庭園法、再統一、そして近年の可動式菜園や「食べられる街」までを貫く時間軸で読み解きます。なぜドイツの都市には、これほど多くの畑が法によって守られて残ったのか。なぜ「自給」と「余暇」と「結社(フェアアイン)」が分かちがたく結びついたのか。歴史と文化を手がかりに、その背景をたどります。

概況

畑が街に残った、もう一つの国

畑が都市の内側に残った国というと、日本がしばしば挙げられます。しかしヨーロッパにも、似た風景を別の理屈で守ってきた国があります。ドイツです。ベルリン、ライプツィヒ、ハンブルクといった大都市の行政区域の内側に、いまも整然と区切られた菜園の群れが点在しています。それらの多くは「クラインガルテン(小さな庭)」と呼ばれ、線路沿いや工場跡、住宅地の隙間に、生け垣と小屋(ラウベ)を伴って広がっています。週末になると、人々はそこへ通い、野菜を育て、お茶を飲み、子どもを遊ばせます。

この風景は偶然ではありません。ドイツのクラインガルテンは、約90万区画が全国の連盟に組織され、総面積はおよそ4万ヘクタールに及ぶとされる、巨大で制度化された都市農のネットワークです。しかも、それを支えるのは慣習だけではなく、「連邦小庭園法(Bundeskleingartengesetz)」という連邦レベルの法律です。畑のために国が法律を持つ——これはドイツの都市農を理解するうえで、最初に押さえておきたい事実です。本レポートでは、この制度がどんな歴史から生まれ、どんな文化を育て、いま誰に向けてひらかれつつあるのかを順にたどります。

はじまり

シュレーバーの名を冠した庭——1860年代ライプツィヒ

「シュレーバーガルテン」という愛称は、ライプツィヒの医師ダニエル・ゴットロープ・モーリッツ・シュレーバー(1861年没)に由来します。もっとも、彼自身が菜園運動を始めたわけではありません。工業化で人口が密集し、子どもたちが遊ぶ場も新鮮な空気も乏しくなった都市で、シュレーバーは体育や戸外の運動の大切さを説きました。その理念を継いで、1865年ごろ、教師エルンスト・ハウシルトらがライプツィヒに子どもの遊び場を備えた「シュレーバー広場」を開きます。やがてその一角に大人が世話をする区画(菜園)が設けられ、これが今日のクラインガルテンの直接の源流のひとつになったとされています。

つまりドイツの都市農は、その出発点において「健康」と「貧困への対処」という二つの社会的動機を抱えていました。狭い借家に暮らす労働者にとって、わずかな区画は新鮮な野菜の供給源であり、屋外で体を動かす場であり、家族が集う居間の延長でもありました。この「畑=社会装置」という発想は、のちに法制度として結晶していきます。次章からは、戦争と分断という20世紀の試練をくぐりながら、この小さな庭がどのように国家の制度へと育っていったのかを見ていきます。

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